マタイ16:13-28 ヨブ記1:1-12
今人間関係で真っ先に求められるのが、やさしさ、です。このやさしさ、予防的やさしさ、治療的やさしさ、というのがあるようです。予防的やさしさとは、人が傷つかないようにするやさしさを意味し、治療的やさしさとは、人は傷つくけれどいやされる努力をするやさしさだそうです傷かない関係を作ろうして生まれて来た予防的やさしさですが、それなのに世界はそのやさしさに包まれているようには思えないのはどうしたことでしょうか。予防するやさしさがあっても、そのやさしさを逸脱する行為や出来事がやはり起こって来ます。その時予防的やさしさは、激しく怒り、断罪するものとなります。予防的やさしさにも欠点があり、完全ではないのです。今日のマタイ福音書には、イエス様の最初の受難予告があります。おそらく聖書では3回を数えることが出来ますが、イエス様は繰り返しご自分の受難、十字架にかけられて殺されることを何度も繰り返していました。ペトロがイエス様を脇へお連れして、そんなことがあってはなりません、と言いたくなるのも分かるように思います。イエス様が受難予告をなさったのは、やはり予防的やさしさのためと思われるのです。弟子たちが、何にも知らずにイエス様の十字架に、死に直面した時、どうなってしまうか、イエス様にはそれが分かっていたから予告されたのです。イエス様が殺されるという、あってはならないことが起こる時、想像したように誰もが驚いて、そこから逃げ出してしまうのです。だけどもイエス様はこのことを前もって私たちにお話ししておられた、知っておられたのだ、ということに辿り着ける様に、イエス様は予防的に弟子たちにそのやさしさを示されていたのです。神の子イエス・キリストが、弟子たちに対して注いでくださったそのやさしさ。そのように神様は私たちに対していつもその深いやさしさを私たちに注いでくださっています。ヨブは、こどもたち、家族に過ちがあったとしても許されて、和解して行くことができるように、そのやさしさから祈り、礼拝を献げて来ました。私たちもこどもたちために、家族のために、隣人のために、祈りを、礼拝を献げましょう。