2025年2月23日朝礼拝「あなたの信仰は立派だ」大賀幸一牧師

マタイ15:21-31  列王記下5:1-14

イエス様は、今日は、現在のレバノン、ティルス、シドンの町へとやって来ました。そこで一人の女性と出会いました。この女性は、イエス様が、今評判のナザレのイエスというユダヤ人で、不思議な力を持っていて、多くの病気の人々をいやして回っていることに気づきました。この女性の娘は今大変苦しんでいるのです。必死にイエス様に助けを求めてすがり続けますが、イエス様はここではっきりとこの女性に拒絶の姿勢を取ります。こどもたちのパンが用意されています。こどもたちがそのパンを食べないのに、そのパンを小犬にやって食べさせる人がいるでしょうか、とイエス様はつぶやかれました。この場合の子犬とは、この女性、そしてその娘を含んでのことを指していると考えられます。この女性には、しかし黙りません。小犬も食卓から落ちるパン屑を食べることは出来るのではないでしょうか。それさえも私たちには許されないのでしょうか?この出来事では、主人公はイエス様ではなく、このカナン人の女性であるように思われます。イエス様に迫り続けて、その価値あるこどもたちのパンを獲得したのですから。今日はもう一つ列王記下のナアマンの物語が読まれました。預言者エリシャの対応に対して、ナアマンは怒って帰ろうとするのですが、ここで良い働きをしているのが家来たちです。あなたは預言者に従ってなんでもしようと思ってここに来たはずです。預言者はただ、川で体を洗えと言っただけです。やってみようではありませんか、と。私たち人間が、神様の恵みを受け、憐れみを受けるために、ナアマンの家来たちのような者たちの働きかけ、言葉が求められているのではないでしょうか。私たちの心を神様に向けさせてくれる言葉を、人々の助けがあって、私たちは神様の用意してくださる大きな愛の恵みに私たちは辿り着くことでできるのです。神様の力は、私たちの弱さの中に働きます。私たちの弱さに神様の御業は現れ、神様の力が働いてくださいます。どうか今弱さの中にある人々に、神様の御業が現れます様に、神様の大いなる力が現れます様に。