マタイ13:10~17、イザヤ6:8~12
イエス様は、天の国の秘密、とおしゃっていますが、秘密ではなく、奥義と呼ばれる事柄をイエス様はおしゃっているのです。秘密というと見てはいけないもののように思えますが、奥義とは、隠されているのではなく、物事の最も深い大切な事柄です。最も深い事柄なので、簡単に辿り着けない、すぐさまつかみ取れないのです。通常奥義とは、それを開き見るだけの資格技術経験などを積み重ねて初めて辿り着くことのできる事柄です。ですから見えないように隠されているのではありません。いつも開かれていて、見ることは出来るのです。でもその真の価値を知らなければ、奥義の持つすべての力を、恩恵を受けることにはならないのです。皆さんにはそうしたものが、奥義がある、イエス様のおっしゃる天国の奥義があることをすでにご存じであるはずです。イザヤ書の預言。あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。 この預言の御言葉を聴く度に思うのは、神様はとても意地悪だ、と思えることです。しかし神様が意地悪なのではない。神様が大切な事柄を隠してしまって、私たちが見たくても見えないようにしているのなら、神様が意地悪なのですが、そうではないのです。神様は決して隠していないのです。神様は、大切な大事なことをいつも見せてくださっているのです。神様はいつも私たちの天の国の奥義を示してくださっています。人間たちはそれを見ているのです。しかし見えていないのです。人間たちはそれを聴いているのですが、聞えていないのです。どうして聞こえないかったのだろう、そう思った時はもうすでに遅いのです。いえ、決して遅くはありません。どうして聞こえなかったのか、私たちがそのことに気づくために、神様は走り続けておられます。今あなたがたは天の国の奥義を見ている、聞いています。それは実に幸福なことです。これを与えてくださったのは神様です。それはとても幸いなことなのです。