イザヤ59:12-20 マタイ13:53-58
イザヤ書59章を読みましょう。16節、主は人一人いないのを見、執り成す人がいないのを驚かれた、とあります。神様は人間世界の中に誰一人として神様と人間世界の橋渡しをする者、仲を取り持つ者がいないことを嘆いています。先月、讃美歌研修会が開催されました。今一度『讃美歌21』を味わってみましょう、というテーマでした。大変貴重な研修会となりました。20世紀から、キリスト教会は礼拝の大改革を行っています。エキュメニカル、という言葉が良く使われました。教派、教会の違いを超えてすべての神様の教会が、一緒に礼拝を献げられるようにするにはどうしたら良いのかということです。そのためにそれぞれの教会の礼拝が見直されました。聖書が、讃美歌が、礼拝式が見直されました。全部新しくすれば解決するということでもありませんでした。教会の原点を、礼拝の原点をもう一度見直そうということも行われました。今も私たちはそうした大改革の流れの中で、礼拝を捧げ、聖書を読み、讃美歌を歌っているのです。私たちは、礼拝がトータルなものだと考えています。一部分だけで満足してもらって困るのです。礼拝のすべてをもって礼拝なのです。礼拝を構成する一つ一つが必要な事柄なのです。どこかだけ切り取って大事なものを得ることが出来ると考えるべきではないのです。またこれまで光が当たらなかった部分に光が当てられるものであるはずなのです。新しければ良いというものではなく、既にはるか昔から、最初から私たちに与えられていたものを取り戻すこと、再発見することが必要なのです。礼拝の大改革として、すべての人が一緒に神様を献げられる礼拝、制限や境を超えて誰もが参加できる礼拝、誰もが神様を知り、神様を愛し、神様を信じて従うことが出来る道を開くのが礼拝です。一部ではなく全部が、失われていたものを取り戻して行くのが、光が当てられなかったところに光があてられるのが、神様の求める礼拝なのです。そんな流れの中に、私たちは皆さんとご一緒に礼拝を捧げています。イエス様を迎えようとしています。ご一緒にすべてを取り戻して行く礼拝を目指して、礼拝を献げましょう。