2024年11月24日(日)朝礼拝 大賀幸一牧師“羊飼いのいない羊“

マタイ福音書9:35~28  ミカ書2:12~13

  イエス様は、町や村を残らず回りました。誰一人としてイエス様の声を聞いていないことがないように、あらゆる町、村を訪ねて回ったのです。それだけでなく、尋ねた町や村で、ありとあらゆる病気と、患いをいやされました。病気は病気のことです。そして患いとは、私たちのそれぞれが持っている弱さのことだと言われます。誰もが弱い部分があります。イエス様はそんな私たちの病気や弱さをいやして回られたのです。そんなイエス様の目に留まったのは、人々の姿でした。それは、飼い主のいない羊のようでした。聖書協会協同訳では、羊飼いのいない羊、と書かれています。羊には羊飼いがどうしても必要です。自分たちだけでは生きて行けない動物なのです。迷ってしまい、遂には死んでしまうからです。羊飼いのいない羊がどんなことになるのか皆さん想像してください。たとえば、羊飼いがいないとこわくてこわくて、羊の囲いから一切羊たちは出てこなくなる。ひきこもりの状態になります。あるいは羊飼いがいないので、めちゃくちゃ羊同士仲が悪く、いつも争っている。また偽物の羊飼いに騙されて連れて行かれてしまう。また困ってしまって闇バイトに応募してしまう。また自分たちを守って導いてくれる羊飼いがいないので、悪いものに食べられてしまう。こんなことが羊たちに起こってしまうのです。いかに良い羊飼いがいてくださることが羊たちには必要であるか想像していただけたでしょうか。ミカ書の預言の中にも羊が登場しています。残された羊たちをひとつにしてくださいます。そして、打ち破る者、という人が登場します。打ち破る者は、突破する者です。先だって進んで、閉じられた門を突破して開いてくださいます。そんな良い羊飼いがわたしたちにはいつも、どんな時もおられるのだということがどれだけ私たちにとってすばらしいことでしょうか。私たちは、真の羊飼いであるイエス様の後に従ってこの人生を歩み続け、神様の御国を求めて進みましょう。