申命記18:15-22、マタイ5:38-48
私たちの主、キリスト、イエス様は、聞いている通り、目には目を、歯には歯を、と命じられているが、悪人に手向かうな、と教えられます。これはとても大変な教えです。これまでは、対話を求めてやり取りをするならそれなりに心に響き合うもの、心に残るものがあったはずです。ところが今日、話しかけても話ができない、意味不明なやり取りがあり、そんな関係が今の人々の間にあるように思えてなりません。そんな中自分たちを守ること、闘うことは当然のことですが、イエス様の求められることは、争うのでも対抗するのでもなく、打つ者に打たせ、奪う者に奪わせ、1ミリオン強いるものと共に2ミリオン行くことです。そして今こそこのことが必要なのではないかと思わされています。イエス様にはいつも天の神様の愛が流れ込み、神様の愛に包まれています。毎日の様に世界を照らし続けてくださる神様の愛です。昼を照らし、夜をも照らしている神様の愛にイエス様は包まれています。太陽だけでなく、世界に雨を降らせ、命あるものに必要な水を注ぎ続けてくださる神様の愛があります。その愛は、無償であり、太陽も雨も何の条件を求められることなく、光り輝き、降り注ぎます。そんな神様の愛にいつも守られて、養われて来たイエス様でなければ、敵を愛し、自分を迫害するもののために祈ることはできないことでしょう。それでも今日も神様の愛は誰に対しても無償で降り注いでいることは確かなのです。私たちが感じていなくても、神様の愛と恵みは毎日、私たちに降り注いでいるのです。申命記で、モーセは最後の遺言として、私のような預言者を、神様は必ず遣わしてくださると約束されたことを伝えています。その預言者は、たとえ世界に10人の正しい人がいなくても、世界を救ってくださいます。世界が滅びることのないように、私たちを愛してくださいます。それは私たちの救い主、イエス・キリストです。イエス様は、敵を打ち負かすのではなく、理解し合えるように時間をかけ、歩み合おうと、教えています。今日も神様は私たちを、私たち以外をも愛いして、太陽を輝かせ、雨を降らせてくださっているのです。