ヨハネによる福音書7:1~17
イエス様は、私の時はまだ来ていない、と今日のヨハネ福音書でおしゃっています。6節にも8節にも、そうおしゃっています。8節、聖書協会協同訳では、私の時がまだ満ちていないからである、と訳されています。本来は少し意味合いが異なることを示してくれています。イエス様のおっしゃる私の時とは、イエス様の十字架と復活の時を意味していると考えられます。イエス様が、神様から遣わされ、人間として生まれ、その生涯を通して実現された最大限の神様の御業、神様の愛を示してくださったのが、イエス様の十字架と復活です。ですからまだその時ではない、まだ時が満ちていない、と教えているのです。イエス様の仮庵の祭りに関する不思議な行動がありましたが、それは何故なのでしょうか?イエス様は、私の時はまだ来ていない、とおっしゃるのですが、それはどうやってやって来るのでしょう。イエス様は、その時が来るのをただ黙って見ているわけではありません。今回の仮庵の祭りのことも、確かにまだイエス様の時ではなかったのでしょうが、それでもイエス様は改めて出かけて行きました。そして、イエス様の時とは、イエス様の準備が整った時のことを示しているのではなく、私たちが、人間たちが、神様を信じて、その時を覚えて祈りをもって迎える時なのではないでしょうか。イエス様の兄弟たちの不信仰、ユダヤ人たちの不信仰、弟子たちの不信仰。すべてがそろってしまいました。イエス様は、何とか人々の中に神様への信仰と祈りが整えられるのを求めて、教え導いて来られたのです。しかし、イエス様一人だけで、十字架と復活の時を迎えなければなりません。それでも神様は、イエス様を通して、その時を満たしてくださいました。足らないところを全て神様が満たしてくださったのです。真の平和を求める平和聖日、8月です。私たちは、神様が望むのは真の平和であることを信じて、祈りと賛美をもって、この時を迎えたい、イエス様を迎えたいと願います。