2024年7月28日“天から降って来たパン”大賀幸一牧師

ヨハネによる福音書6:41~59,箴言9:1~11 

  私は、天から降って来たパンである。私は命のパンである。私は天から降って来た生きたパンである。イエス様は、ご自分のことをパンにたとえています。そして、私が与えるパンとは、世を生かす私の肉のことである、とはっきりとおっしゃいました。それを聞いた人々は、この人は自分の肉をどうやって我々に食べさせることができるのか、と疑問を並べました。どうやって、私たちは、イエス様の肉を食べ、その血を飲むのでしょうか?それは教会で行われる聖餐、主の晩餐において、イエス様の肉を食べ、イエス様の血を飲むのです。イエス様は、過ぎ越しの祭りが始まる夜の食事を弟子たちと一緒に過ごし、いわゆる最後の晩餐と呼ばれています。その時に、一切れのパンを取り、これはあなたがたのための私の体である、と言われました。その後、葡萄酒の杯を取って、これはあなたがたのために流す私の血であり、あなたがたと結ぶ新しい契約である、とおしゃって、一つの杯から皆が飲みました。イエス様が食べさせる肉と血とは何が違うのでしょうか。神の子キリストの肉と血であるという点で決定的に違います。キリストの体が、私たちの世界で裂かれたのです。キリストの血が私たちの世界に流されたのです。このことはとても大きな出来事です。キリストの肉と血と言っても、やはり肉と血は永遠のものではありません。聖霊を与えられ、神の霊に生かされれば良いとも言えます。しかし神様は、イエス・キリストを、肉として、人間として、この世界に生まれさせられました。そのキリストの肉と血が、この世界に献げられ、この世界を支えているのです。実際に生きている人間たちを見捨てることなく、今も人間を愛し、支えてくださっているのです。キリストの肉と血を食べて、何とか生き永らえているのです。またキリストの肉、身体と言えば、教会のことです。神様はキリストの体として教会を立てて、人間世界がこの教会を食べて、生きる者としてくださっています。人間は、これからも、イエス様の肉と血によって、永遠の命へと生かされます。