ヨハネによる福音書6:16-21 イザヤ43:1-13
荒れるガリラヤ湖の上で右往左往している弟子たちですが、もっと異常なことが起こります。何か分からないものが近づいて来るのです。それは湖を歩いて渡って来たイエス様であったのですが、真っ暗闇の嵐の湖の上で、そんなことが分かる分けもありません。弟子たちには、嵐のガリラヤ湖よりも、イエス様の方が恐ろしかったのです。弟子たちは、嵐のガリラヤ湖で、真実なる神の子イエス様の姿に接し、本当の畏れを感じたのではないでしょうか。その時、イエス様から短く言葉が発せられます。「私だ。恐れることはない」と。恐怖の中、混乱しているものに、この言葉が与える力、安心感は、とても、とても大きなものだったでしょう。その言葉は、短く、素早く、鋭く、人々の心に届き、恐怖の中にある人々に平安を与えたのです。これでもう安心だ、という確信を与えました。言葉の内容は、ただ、私、ナザレのイエスである。あなたたちの先生、神の子、キリストである。そして、ただ恐れるな、もう心配はいらない、安心しなさい、とのこの言葉に私たちは平安を得るのです。嵐の湖上、揺れる舟の中、弟子たちは突如現れたイエス様を舟の中に迎え入れようとしました。恐怖に襲われていたからこそ、突如現れたイエス様を、恐れるな、と呼びかけられるイエス様だからこそ、弟子たちはすぐさまイエス様を舟に迎え入れようとします。そうすることがもっとも平安をもたらしてくれるからです。私たちにとって最も力強いからです。イエス様と共にあること、嵐の中、自分たちに近づいてきてくださるイエス様を認めること、そして受け入れること。それこそが恐怖の中にあっても最も力を与えられる、慰めを与えられる、平安を与えられる出来事となります。「恐れるな。私はあなたがたと共にいる。」私たちは、神様の愛とイエス様の救いを最後まで、信じて歩みましょう。