「帰りなさい 息子は生きる」 朝礼拝 大賀幸一牧師

 ヨハネによる福音書4:43-54  ホセア14:2-8  

  イエス様はこの出来事に際して、あなたがたは徴や奇跡を見なければ決して信じない、とおっしゃっています。確かに私たち人間は、自分たちが見るもの、見ているものによって心を動かされ、信頼したり、不安になったりしております。ですから、イエス様ご自身が、神様と私たちとの間にあって、徴となっていてくださるのではないでしょうか。私たちにいつもその中心が見えているなら、どんなに離れているか、どんなに近づいているかが見えるのではないでしょうか。私たちが中心となるところに近づいているなら、近くにあるなら、何にも心配はないはずです。そこには神様の憐れみがあふれ、神様の恵みに満ち溢れているからです。ところが私たちにはその中心が見えない。私たちは、1年に1回ぐらいは健康診断をいたします。基準となる数値内であるなら安心です。基準値から遠くなれば遠くなるほど不安でたまりません。それで何とか少しでも基準値に近づこうと、無駄な努力をしてみたくなります。甘いものを控えたり、お酒を控えたり、運動を始めて見たり。少しでも基準値に近づけたなら、ちょっぴり安心するではありませんか。私たちの命の中心にある神様。その神様とどんなに近くにあるかを私たちに教えるために、イエス様は私たちの命の徴となってくださっています。少しイエス様に近づこうと努力してみたくなります。そうすれば安心ですから。でも、イエス様は、息子の父親に言いました。帰りなさい、息子は生きている、と。イエス様に近づこう、イエス様に病気の息子のところに来て欲しいと願いました。しかしイエス様の教えは、帰りなさい、ということです。それは、私たちがその心を神様に向けること、神様に立ち帰ることを示しているのではありませんか。神様はすでに私たちを赦し、愛しておられるのではないでしょうか。“私は背いた彼らを癒し、喜んで愛する”とホセア書には記されています。神様は既に私たちを赦し、愛し、私たちのそばにおられます。神様に立ち帰りなさい、この御言葉を聴いて、また歩み始めましょう。