「あなたがたの知らない食べ物」朝礼拝 大賀幸一牧師

 ヨナ4:1~11、ヨハネ福音書4:27~42

  絶えず繰り返す渇きの中に生きている私たちを、本当に満たすことできるのは何かを示してくださいました。そのイエス様はまだいっぱいの水さえ飲んでいませんし、お腹は空いたままです。しかし今イエス様はとても満たされた思いの中にあります。サマリア人の女性と出会い、彼女と話をし、イエス様を認めたからです。彼女はとてもお驚き、そして大いにこの出会いを喜んでくれました。イエス様は、サマリア人女性のこの喜びを好物としています。彼女の喜びがイエス様を満たし、神様を満たしたことでしょう。私たちの京都丸太町教会は、120周年を迎えました。9月には、記念礼拝や祝会を予定しています。そして、誰もよりも皆さんに喜んでいただきたいのです。神様によって教会は建てられ、こうして続けられて来た教会の歩みの一角を皆さんが担って、神様の御業を行ってくださったのです。サマリア人女性は、スカル村の人々に呼びかけました。なぜ人々はメシア、キリストを見ようとしたのでしょうか。キリストは、渇き続ける私たちの人生に潤いを与えてくださるからです。私たち人間を、神様としっかり結び合わせてくださるからです。つまり人間は、神様との関係、つながりを完全に失ってしまっていたのです。それを取り戻し、神様とのつながりを修復しなければなりません。人間たちは自分たちの力で神様とのつながりを直そうとしたのですが、自分たちでは成し遂げることができないのです。ですから神様から大いなる助けが与えられ、メシア、キリストが遣わされたのです。ヨナ書、ヨナとイエス様との違いがはっきりと示されています。神様と人間の間に立つことが出来るのは、人間ではないのです。ヨナは人間たちが罰せられることを求めますが、神様は悔い改めたならば、罰するのではなく、赦し、愛し、人間たちが生きることをも求めます。イエス様も同じです。イエス・キリストは、ご自分のすべてをもって、神様と私たちとを永遠に結びつけ続けてくださっています。これがメシア、キリストです。