列王記下 2章8-15節 ヨハネによる福音書 7章32-39節
預言者エリヤは、地上の最後の日を迎えています。エリヤは、エリシャの願いを聞こうとしています。その願いは、預言者エリヤの霊を二人分受け継がせてください、というものです。預言者エリヤは伝えました。私の死を見るならば、あなたは私の霊を受け継ぐ者となる、と。偉大なる人物も、その使命を終えて行きます。神様は受け継ぐ者を備えてくださっています。後はただ素直にこのことを受け入れるだけです。しかし人間は、預言者エリシャでもそうはいきません。私の死を見るならば、と言われましたが、その時をできれば見たくない。この別れの時を迎えたくない。この悲しみを、痛みを覚えながら、人間たちは神様が用意した大切な霊を受け継いで行くのです。使命を受け継いで来たのです。イエス様は弟子たちともに、ユダヤの3大祭りの一つ、仮庵の祭りを迎えています。イエス様は大声で人々に呼びかけられました。”渇いている人は誰でも私の所に来て飲みなさい“と。イエス様はいつも私たちを快く迎えてくださることが示されています。そしてその渇きを満たそうとしてくださっています。与えられる水とは、霊であるとも記されています。渇きを覚える者は、イエス様にその霊をもって満たされます。いつでもイエス様は、私たちを迎えてくださり、私たちを満たしてくださいます。私たちは今日も神様の前に導かれ、礼拝を捧げています。神様の御言葉が、御声が、私たちの人生、私たちの命に必要だからです。私たちの心を、魂を、その頑固さから柔らかにし、真実を見て、見るべきものを見、知るべきもの知って、良き道を歩んで行くため、この礼拝が用意されています。私たちは自分たちの渇きを自覚し、自分自身を神様へと向けて、神様の与えてくださる恵みを受け留めましょう。