2024年3月10日 朝礼拝『家は香りでいっぱいに』大賀幸一牧師

サムエル記上 9章27節-10章1節 ヨハネによる福音書 12章1-8節

  過ぎ越しの祭りの6日前ベタニヤ村でイエス様のために夕食会が催されていました。ラザロは、数日前その死亡が確認され、墓に埋葬されていたところを、イエス様に呼び出されて、この世に戻って来たのです。イエス・キリストが、人間を死者から復活させる方であることを示してくださっています。夕食を共にしている人々は皆、イエス様がここにいることを心強く思ったことでしょう。しかし誰も、イエス様以外は誰も知りません。イエス様が、十字架にかけられて死に、いなくなってしまうことを、誰もまだ知りません。イスカリオテのユダ。12弟子の中で彼だけがガリラヤではなく、ユダヤ出身だと言われています。そして、弟子団の会計係でもありました。それだけ信頼されていた証です。ところが、ヨハネ福音書には、ユダが財布の金を横領していた、と伝えています。そして、それをイエス様がご存じないはずもありません。知っていてすべてを許されていたのではないでしょうか。そして、マリアが献げた香油を、イエス様は喜んで受け入れてくれました。イエス様の十字架の苦しみをわずかでも慰める香りとなったのでしょう。そして、イエス様は十字架の道を進み、誰も理解できない道を歩まれました。人間たちの死の世界にまで足を踏み入れ、人間たちをその死の世界から救い出されたと言われています。こうして人間たちが自分たちでは何一つ確認できないけれど、人間たちをいつも覆うように、イエス様はその愛をもって私たちを、私たちの人生を包んでくれています。これからも私たちの人生には思っても見ない様々なことが起こるでしょう。しかし私たちは神様の愛に包まれ、必ず神様の力が私たちに働き、神様の助け手が与えられることを信じて、この人生を歩んで行きます。少なくとも私たちは兄弟姉妹たちにそのように神様の力が働き、助けが与えられることを祈り続けています。これは神様の愛と御言葉に基づく、私たちの確信です。そして、この家いっぱいに広がる香りは、私たちが献げた香油が広がったものです。