創世記 18章1-15節 ルカによる福音書 2章22-38節
ルカによる福音書2章で述べられている世界は、ローマ帝国史上最強の皇帝アウグストゥスが支配している世界です。人々は皇帝の価値観のなかで、国の繁栄のために活動していました。このような世界では、国や社会の繁栄に貢献できるか・できないかということが、人間の価値を定めることになります。ところが、この章には、皇帝の観点からすると役に立たない人たち(と物)が重要な役割をもって登場しています。幼子イエス、イエスの両親、飼い葉桶、羊飼いたち、天の大軍です。続いて高齢者が2名登場します。シメオンは社会からもう必要のない人間とされましたが、神様からは逆に必要とされ、「メシアに会うまでは決して死なない」とのお告げを受け、神殿の境内に出入りしては、救い主の到来を待ち望んでいました。84歳のアンナは神殿を離れず、そこで夜も昼も神に仕えていました。社会の周縁にいるこの人たち(と物)は神様から直接役割を与えられていました。
創世記17章18章には、年とったアブラハムと妻サラが、二人に子どもが生まれるという予告を聞いて笑ったと記されています。彼らが笑ったのは、常識や自分たち自身の若い頃の見方で、現在の自分たちの年齢を考えたからです。しかし、神様は常識を越えてご計画を立てられる方です。
シメオンもアンナも、社会や国からの要請ではなく、神様が与えてくださった役割を担っており、その役割の範囲のなかで、生き生きと生きています。シメオンは救い主を見る、という役割を神様から与えられました。アンナも救い主を見抜きました。年をとればとるほど、目は弱ってきますが、二人は、神様との関係を深めるなかで、逆に、心が澄み心の目がきくようになってきました。二人は遠くにおられる神を思い描くという仕方ではなく、「神が共にいてくださる」ことを見る喜びを味わうことができました。この二人に学び、私たちも、年をとることの積極的な意味を捉え直したいものです。