マラキ書 3章19-24節 ヨハネによる福音書 1章19-28節
預言者マラキは、預言者エリヤを遣わす、と預言しています。その目的は、こどもたちの心を父に向けるためです。父の心をこどもたちに向けさせるためです。そのために派遣されるのが預言者エリヤだと言われています。イエス様はこの預言者エリヤが、洗礼者ヨハネだと証言しています。神様を信じて来た人々が、その心を神様に向ける時、神様に立ち帰る時を与えるためです。人間たちは、自分たちで神様に立ち帰ったのではありません。神様が呼びかけてくださったのです。この呼びかけを聞いて、心を開いた人々は、神様を畏れる人々と呼ばれています。神様を信じて何が良いことがあっただろうか?神様を信じようが信じまいが、誰も神様に罰せられていない。神様は何もしてくれない、と言う人々に神様は呼びかけています。神様は全部知っている、全部理解していると、と呼びかけます。そして神様のもとに立ち帰りなさい、と呼びかけています。東方の博士たち、ベツレヘムの羊飼いたちは、神様の呼びかけを聞いてそれに応えようとしました。ヘロデ王とエルサレムの人々は、神様の呼びかけを聞きましたが、無視しました。ただその違いだけです。それ以外は何も違いはありません。ただ神様の呼びかけを聞きました。それに心を動かされ、もう一度神様の声を信じて、本当かどうか確かめに行こうとしただけです。私たちは、神様の呼びかけがあるから、神様のもとに帰ることが出来ます。呼びかけがなくてどうして神様のもとに帰ることが出来るでしょうか。神様の呼びかける声、神様の御言葉がいつも私たちに語りかけています。私たちに必要な道は何か。私たちが選ぶべきことは何か。私たちが聞いて命に至る道はどこにあるか。さあ、神様の呼びかけを聞いて、クリスマスを迎えましょう。