創世記 3章1-15節 ローマの信徒への手紙 7章7-13節
今日は旧約聖書、創世記3章、楽園追放のお話を聞きましょう。楽園と呼ばれたエデンの園は、神様が人間に与えた世界でした。人間たちは、あらゆる生命と共に自由に、豊かに生きています。人間たちは裸のままで生きていたとされています。服が必要ないというより、人間がいかに自由に生きていたかを表しています。楽園で人間を縛るものはありませんでした。楽園のどの木からも取って食べることが神様によって約束されています。何も禁じられていないののです。神様と人間の関係を、時に人々は、神様の命令にがんじがらめになっている人間であるように表現する場合があります。しかし、神様が禁じているのは、死んではならない、ということです。楽園において死ぬのではなく、生きることを神様は命じています。神様を信じる者たちが目指しているのは、何かを禁じられ、束縛されて生きるのではなく、すべてを神様に委ねて生きることなのです。ところが問題が生じ始めます。賢い生き物、蛇の存在です。蛇も神様に命を与えられた生き物です。その蛇は、何故か神様がおっしゃったのとは違うことを言い始めます。蛇は一つの象徴です。神様から出たのではなく、人間たちの中から出て来る知識、知恵、それらは時に神様の求めるものとは全く違うことを言います。 楽園の人間たちは、神様の言葉を聴き、そして神様の言葉と真逆な蛇、人間の知識の言葉を聞きました。当然楽園の人間たちはどちらを信頼すべきでしょうか。神様の言葉を信頼すべきであったはずです。しかし人間たちは迷った挙句に、神様の言葉を信頼しなかったのです。その結果、人間たちは自分たちが裸であることを知ったと書かれています。裸であることを恥ずかしいと思うようになったのです。それまでは裸のままで生きられたのですが、裸のままでは生きられない人間になってしまったのです。神様は私たち人間に死んではいけないから、生きるために御言葉を与えてくださいます。しかし選ぶの人間です。神様を信頼する者は、死なないのです。生きるのです。