箴言 25章2-7a節 コリントの信徒への手紙Ⅱ 11章7-15節
パウロが大事にしていることがあります。パウロ自身も受けた福音は、恵みとしてすべての人に神様が与えるものだということです。例えば、お金を払って神様から福音を買うなどということはあり得ません。福音は、いつも神様から無報酬で与えられました。福音は、神様が始めてくださった事柄です。神様の愛から出ているのです。そのパウロがコリント教会には負担をかけないと決めています。それも神様の福音は私たちに恵みとして与えられていることを知るためです。“もしも”コリント教会がお金を払ったなら、自分たちが支払ったこのお金という代価で私たちは神様の福音を買い取ったのだと思うでしょう。パウロの福音伝道を支えているのは私たちの払ったお金だと思うようになったでしょう。そのような間違ったチャンスを絶つため、そのような隙を絶つために、私たちがなすべきことは、今していることを今後も続けることです。私たちはすべてが信じられるから信じているのではなく、すべてを知っているから信じているのではありません。私たちが信じられるのはごくわずかです。神様は私たちを愛している。神様は私たちを赦している。そのためにキリストはこの世界に生まれた。キリストはすべてを捨てでも私たちを愛してくださっている。神様がこれまで人間のためになさってくださったことに比べて、私たち人間が信じている事柄は実にごくわずかで乏しい。それでも神様が良しとしてくださるのは、この神の福音は、神様から私たちに無料で、恵みとして与えられているからです。このことを明らかにしているキリストの真実がすでに私たちの中にあるのですから、神の福音が語れる時も受けられる時も、すべては神様の恵みにより無償で与えられるのです。私たちは、神の福音を宣べ伝え、神の福音を大いに受けて歩みましょう。