アモス書5:18-24 ヤコブの手紙1:19-27
ヤコブの手紙に、人間の怒りは神様の義を実現しない、と示されています。怒りを人間から無くすことはできないでしょう。しかし人間の怒りは、遂には色々なものも見えなくし、怒りがすべてを支配するようになり、自分だけが正しいという思いが占めてしまいます。そういう時、私たちの中に神様の御声が入ってくることが出来るかというと、入っては来ないです。ヤコブ書は、私たちにまずは聞くことを教えています。聞くに速く、語るに遅く、怒るに遅く、と。私たちの人生にとって大切な点です。私たちの人生を神様が祝福し、導き、真っすぐにしてくださるのですが、神様の御声を聞いて生きる私たちが、神様の御声を聞こえなくすることを避けなければなりません。語ることよりも聞くことを、怒ることよりも聞くことを大切にしていかなければなりません。そして絶えず神様の御声を聞き続けることです。1度神様の御声を聞けばそれで私たちは満足でしょうか。絶えず神様の御声、御言葉が私たちの命の中に流れているからこそ、私たちは神様に導かれて歩むことが出来るのです。どんな形でも神様の御声を聞き続けること、それが大事です。御声を聞けなくなる、これを私たちは退けなければなりません。神様が私たちの心に植え付けてくださった御言葉を受け入れて行きましょう。そして、御言葉を聴いて、御言葉を行う人になるようにと求められています。聞いても行わない人を、鏡を見ている人にたとえられています。鏡を見ている時は自分が見えていますが、鏡から離れると自分が見えなくなります。自分を忘れてしまうから、と説明されています。自分の姿を忘れてしまうのです。御言葉を聴いても、忘れてしまう。だからこそ御言葉を聴き続けることの必要性があります。御言葉を聴き続けて、忘れても聞き続けましょう。そして御言葉を行う人、御言葉に生きる者となりましょう。