2023年4月16日 朝礼拝『イエスは先に行こうとされた』大賀幸一牧師

列王記下7:1-7 ルカによる福音書24:13-35

  イエス様は、クレオパたちにもう一度話しかけられます。聖書を通して、メシアが多くの苦しみを受けて栄光を受ける時について語られたのです。メシア、キリストの歩みには、苦しみが伴いました。力で屈服させて、従わせるのが神様の御業ではないからです。神様はその御言葉を持って人々に理解を与え、知恵を与えて行かれます。神様の注がれる深い慈しみこそが、人間たちを信仰へと導くのです。ですから、イエス様は弟子たちを再びご自分の元に集められます。逃げ出した者たち、見捨てた者たち、イエスを知らないと言った者たちを、イエス様はもう一度呼び集められます。そこには、イエス様を信じている者はありません。イエス様が私たちを呼び集めてくださるから、私たちはイエス様のもとに留まっています。エマオへのクレオパたちの旅路が希望に溢れていたわけではありません。もはやどこにもいる場所がなくなって、行く場所を求めての旅路だったのでしょう。そんな弟子たちの思いを知って、イエス様は弟子の一人一人をご自分のもとに連れ帰されたのです。そこで明らかにされたのは、イエス様は生きている、ということです。それでも信じがたいことだったでしょう。でも次第に弟子たちも、イエス様は本当に生きているだのと知るようになったのです。私たちを呼び集めてくださるイエス様。それは私たちに、神様の御業を知る機会を与えてくださるものです。神様は今の私たちに、私たちの世界に働きかけています。人間たちの救いと命のために働き続けているのです。その働きが、イエス様の十字架と復活です。人間たちの中で、最初は誰もイエス様の十字架と復活が大事なことであるとは知りませんでした。しかし今や教会は、私たちは、イエス様の十字架と復活に支えられています。イエス様は、まだ先に行かれます。まだイエス様にはみもとに呼び戻す、愛する者たちがたくさんいるのです。