2023年2月26日 朝礼拝『希望のことば』 石川 立 教師

イザヤ書50:5-6 哀歌3:28-30 マタイによる福音書5:38-42

 「誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」や「敵を愛せ」など、赦しを命じる極端な言葉は難しすぎて、私たちは敬遠しがちです。

 ベトナム戦争末期に、南ベトナムの或る村で起こった出来事を写した有名な写真があります。爆撃された村から泣きながら逃げてくる子どもたちの真ん中にいるのは裸の少女、キム・フックさんです。大やけどした彼女は九死に一生を得ますが、退院後も、戦争被害者、反米の象徴として新ベトナム政府のプロパガンダに利用され続けました。写真が世界で有名になればなるほど、彼女の生活は犠牲を強いられました。彼女は自分の「運命」を恨み、絶望します。戦争を起こした人たちやベトナム政府の役人などに対するどす黒い恨みや憎しみが心に満ちていました。

 ところが、このキム・フックさんは新約聖書に出会い、変わっていきます。最初は、敵を赦すことを命じる聖句に反発を感じました。しかし、教会に通いながら、人と自分を比べたり人を恨んだりするのをやめるにつれ、心が救われていきました。そして、時間がかかりましたが、「赦す」ことのできる境地に至りました。

 人を赦しなさいとの激しい言葉は、優しいイエスの言葉であり、恵み深い神様の言葉であることを私たちは忘れてはなりません。今は理解できなくても、今は実行できないと思っても、この言葉の背後にいてくださるイエス、神様を信頼し、この言葉に心をひらいて待てば、いつの日か、これらの言葉は私たちに親しい言葉として、私たちに新しい境地を備えてくれます。これらの厳しいと思える言葉は、愛の言葉、希望の言葉であると言うことができます。赦してはならない現実もあります。しかし、そのような現実の下、私たちが苦しんでいるこの地平に、御言葉を通して「赦し」の世界は必ず開けてきます。聖書の言葉の背後に、神様が赦してくださり、私たちも赦すことのできる「赦し」の境地が広がっているのです。