2023年1月15日 朝礼拝『しかしお言葉ですから』大賀幸一牧師

出エジプト記18:17-27 ルカによる福音書5:1-11

  皆さんならばどのくらい魚が取れるとその人を信じて従うことができますか。シモンたちは舟2そう分でした。イエス様とシモンたちの間はこうした驚きだけではありません。シモンの心に起こった変化を、私から離れてください、私は罪深い人間のです、という告白が示しています。シモンには、イエス様が、近づくことのできない存在、尊い存在と急に見えて来ました。神様に対する畏れのような気持ちです。さっきまでは鼻で笑っていた人に対して、今は心から畏れてひれ伏すことができるのがシモンです。それに対してイエス様は、シモンのどこに罪深いところがあるのかは分かりませんが、恐れることはない、心配することはないと、シモンのすべてを受け入れ、すべてを許してくださっています。そしてシモンたちにイエス様による新しい使命を与えられました。人間を取る漁師、です。これはシモンたちがこれまでガリラヤの漁師であったことを否定するのではなく、それを受け継ぎ、さらに別な意味を、使命を与えてくださったものです。シモンたちがイエス様を信じて、従って行こうとしたのは、自分たちを認め、自分たちを受け入れてくださるイエス様であるからです。そして、自分たちをさらに新たなるところへと導いてくださるであろう希望、期待をイエス様に見たからです。舟が沈みそうになるぐらいのたくさんの魚は大きな驚きとなり、イエス様を信じ従う具体的な出来事となりましたが、忘れてはならないのは、シモンたちもイエス様のお話を、御言葉を聞いているということです。網を洗う作業の中で聞こえてくるものであっても、イエス様の語る御言葉は、シモンたちの心に神様の真実の愛をもたらしたのです。イエス様の御言葉を聴いて、多くの恵みをいただき、私たちもイエス様に従って行きましょう。