2022年10月9日 朝礼拝『祈っていなさい』大賀幸一牧師

創世記32:23-33 マルコによる福音書14:26-42

  信仰における基本、それは神様を信じるということです。神様を信じることで私たちはどんなことを得るでしょうか。特別に優れた、優秀な人間になるのでしょうか。そうではなく、イエス様が示されたように、皆イエス様につまずいてしまうことが明らかになります。逆に私たちはイエス様につまずいて、イエス様が行かれるところまで一緒に行きたくても行けないことを知らされ、認めざるを得ないのです。つまずいてしまうしかない人間がなぜ神様を信じるのでしょう。私たち人間を導く方は、神様以外ないからです。私たちの人生を良く導いてくださるのは神様だからです。私たちは神様に導いて欲しいと願っているからです。イエス様につまずく人間であり、ひと時もイエス様と一緒に心を合わせて祈り続けることのできない人間ではありますが、それらをすべて神様は、ご存じでいてくれました。それでも私たちを愛してくださいました。イエス様はつまずいた弟子たちを、復活の後、ガリラヤであなたがたより先に待っている、と約束しておられます。私たちを、つまずいた先で、待ち受け、私たちの人生を導き、養ってくださるのは、イエス様、神様以外他にはあり得ないのです。私たちは毎週のように礼拝を奉げ、祈りを捧げて来ました。そんなに毎週でなくてもと一般の人々は思っているでしょう。しかし、私たちの人生が神様によって導かれて進むべきなら、1週間ごとでも少ないぐらいです。もちろん、神様は私たちを24時間愛して、養って、導いてくださっています。神様は、イエス様は、私たちの人生を助けてくださる方、私たちの盾、私たちの人生を進める時に私たちの力となってくださる方です。私たちよりも先にいつもあって、私たちを待っていてくださるのです。私たちは、神様に導いていただきたいのです。私たちは、神様に導かれて、私たちの人生を進めて行きます。