2022年7月3日 朝礼拝『旅には杖の他は持たず』大賀幸一牧師

アモス書7:10-15 マルコによる福音書6:1-13

  イエス様の故郷ナザレという町では、ごく少数の人だけがイエス様によって癒しを与えられ、その他は何も奇跡を行うことがおできにならなかった、と記されています。イエス様でも何もできないということがあるのでしょうか。しかし、問題は、イエス様ではなく人々の不信仰にあったことが記されています。イエス様が何もできなかったのではなく、イエス様は多くの恵みをもって人々を祝福しようとされても、それを受けるべき者たちが恵みを受け取らない時、イエス様が授けようとした恵みは何もおできにならなかったということになってしまうのです。神様がどんなに私たちを愛していても、どんなに大きな恵みをもって祝福しようとしていても、それを受ける者が無ければ、受けようとする者が無ければ、その恵みは何にもできないことになるのです。神様はいつも私たちを愛し、その偉大なる恵みをもたらそうと働いてくださっていますが、そのためには、恵みを受ける者たちがなければならないのです。人間の不信仰のすさまじさを知ることとなったイエス様は、いっそう人々に神様を信じることを伝えて行こうと望まれました。人間たちは、大工には神様が働かれないと思っているからです。少なくとも神様は私には働かれないと思い込んでいるからです。しかしそうでしょうか。大工には神様の御言葉は語れないというのならば、イエス様が伝えた神の福音を捨ててしまうことになります。マリアの息子には、神様の力は働かないとするなら、私たちにも神様の力は働くはずがありません。ナザレのイエスに与えられた神様の恵みは、イエス様を信じる人に神様の祝福を与えました。イエス様は弟子たちを遣わす時、杖一本以外何も用意するな、持って行くなと教えて、送り出しました。神様があなたの道を守り、あなたと共にある、あなたの人生を導き、備えてくださるのは他ならぬ神様なのだとしたのです。私たちの人生においても、私たちに必要なのは杖一本のみです。私たちの主イエス・キリストが、わたしたちの人生を導いてくださいます。