創世記18:23-33 ヨハネによる福音書16:12-24
今日は、創世記のアブラハムのお話から始めましょう。ソドムという古代の町の滅亡のお話です。神様の使いがアブラハムに、ソドムの町が滅亡の危機に瀕していると伝えたのです。アブラハムは、全世界を裁くお方は正義を行われるべきではありませんか、と訴えています。神様という存在があるなら、神様こそ正義を行われるのは至極当たり前なことです。ところがアブラハムは、その正義を行われる神様が、正しい者と悪い者とを一緒に滅ぼすようなことをなさるはずがありません、あるいは、正しい者と悪い者とを同じ目に遭わせるはずがありません、と言っております。神様はあえて神の使いを通して、アブラハムにソドムの滅亡の危機を教え、アブラハムに神様と対話することを求めています。神様とアブラハムが対話をすることを通して、神様はソドムの滅亡の危機を救おう、とされているのではないでしょうか。そのために神様は、アブラハムとの対話に希望を託しました。
ヨハネによる福音書からも御言葉を聴きましょう。イエス様は、ご自分の弟子たちに対してこれから起こることについて、しばらくすると私を見なくなる、またしばらくすると私を見るようになる、と不思議な表現で示されました。それはもちろんイエス様の受難、十字架を意味しています。イエス様はまだ語り教えなければならないことが山ほどあるのですが、今はそれを理解できないし、堪えられないという実に弟子たちの無知な状態を示しています。それがしばらくするとイエス様を見なくなる、に示されています。再びしばらくすると、私たちはイエス様を見るようになるのです。私たちは再びイエス様と出会い、イエス様をもっと知るようになります。神様とイエス様は私たちに真理の霊を送ってくださり、私たちを真理へと導いてくださるからです。私たちは、しばらくするとイエス様を見なくなる、しばらくするとイエス様を見るようになる、これを繰り返しながら、真実へと近づいて行くのです。