レビ記19:9-18 ヨハネによる福音書13:31-35
今や、人の子は栄光を受けた、とイエス様はおっしゃいました。栄光、とはなんでしょうか。それは、神様によって、人間世界にはっきりと示される事柄です。それは、神様以外に誰がこのようなことを示すことが出来るだろうか、というような事柄です。そこには、神様の御業が示されています。たとえば、ヨハネ福音書12章20節以下、ギリシャ人たちがイエス様を尋ねて来る場面が描かれています。イエス様はギリシャ人たちの訪問を聞いて、人の子が栄光を受ける時が来た、とおっしゃっています。そして、一粒の麦のお話をなさっています。それよりもずっと前、イエス様の誕生を記した1章14節には、言葉は肉となって、私たちの間に宿った。私たちはその栄光を見た。この様に記されていて、イエス様の誕生、人間となった神の子キリストの誕生を神様の栄光が現れたこととして記しているのです。先ほどの、一粒の麦の死について語られたイエス様の時も、神様の栄光が示されたのです。それは、神の子キリストのもとに、ギリシャ人もあらゆる人々もお目にかかる時が来たことを告げています。このことと深く関係するのが、イエス様の十字架です。神様の栄光は、私たち人間世界に、大きな明るい輝きとなっています。それまで神様に私たち人間の世界は真っ暗闇のように見えたのではないでしょうか。そこにイエス様が誕生するという大きな光が輝き始めました。それ以外にも、神様によって幾つもの輝きが人間世界に灯されているのです。これが神様の栄光です。それは神様を信じる者たちだけに示される神様の栄光でしょうか?ギリシャ人が訪ねて来た時、そしてイスカリオテのユダが出て行く時、イエス様は、神の栄光を受けたとおっしゃいっています。イエス様が、神の栄光について語られる時、その時は、イエス様の苦しみが、イエス様の死が、弟子たちやユダヤ人たちの無理解、不信仰が明らかになる時なのです。そんな時でも、神様の栄光ははっきりと示され、人間世界に現れているとイエス様はおっしゃったのです。