2022年2月13日 朝礼拝『種を蒔いている間に』大賀幸一牧師

箴言2:1-923:1-10 マルコによる福音書4:1-9

 今日は、イエス様のたとえ話の中でも有名な種蒔く人のお話です。種を蒔く人があります。種を蒔く人は、種を蒔きに出かけて行きます。たとえ話では、4種類の土地に種が蒔かれます。先ずは道端、第2に土の少ない石地に。第3に茨が一緒に茂って来る土地に。第4に良い土地に蒔かれました。イエス様は、まず種を蒔く人が蒔く種とは神様の御言葉であると明らかにしておられます。イエス様は、種を蒔く人が蒔いた種、神様の御言葉が蒔かれ、語られる中、それが死んでしまったとは一つもおっしゃっていません。たとえ奪われようが、根がなく、茨に覆われても神様の御言葉が死んでしまうことはありません。今はこれ以上成長することができませんが、石地を這うように少しずつ根を張り進め、あるいは茨に覆われながらも一筋の小さな光を求めて神様の御言葉の種は成長して行きます。そしてきっといつか実りをもたらす時が来るでしょう。御言葉の種を蒔く人、その人とは誰でしょうか。私たちはそれがイエス様であり、神様であると信じます。ではなぜ道端に、石地に、茨の中に種は蒔かれたのでしょうか。すべての種が良い土地に蒔かれればこんなことにはならないのに。しかし種蒔く人は道端に、石地に、茨の中に種を蒔くのです。そうでなければ、どこに最初からすべてが整った良い土地などあるものですか。イエス様が来られたのは、道端に種を蒔くために来られたのです。神様は石地に蒔き、茨の中に蒔き続けてくださいます。だから私たちにも希望があるのです。この私たちもいつか必ず良い土地として100倍の実りを持つ時が来るからです。神様が諦めずに、私たちを愛してくださっているのです。イエス様が命を削りながら、私たちのために与えてくださっているのです。だから私たちの道端は、石地は、茨は、美しい実り溢れる土地に変わって行くのです。