2022年1月30日 朝礼拝『人々に証明しなさい』大賀幸一牧師

歴代誌上29:10-19 マルコによる福音書1:40-45

  今日もマルコによる福音書を通して神様の御言葉を聴きましょう。最初に、重い皮膚病を患っている人が登場しています。聖書協会共同訳では、「規定の病」と訳しています。規定の病とは、ヘブライ語聖書に規定されている病気という意味だそうです。旧約聖書には神様を礼拝したり、献げものをする時、ある特定の病気にかかっている人には参加が禁じられていたのです。さて重い皮膚病を患っている人は、イエス様のところにやって来て願います。“御心ならば、私を清くすることがお出来になります”と。少々はっきりしない言い方です。この病気の人が言う、御心ならばの部分、原文は、あなたが望むならば、と言っています。この後41節で、イエス様は、“よろしい、清くなれ”とおっしゃっています。このよろしい、という部分。原文は、私は望む、とおっしゃっているのです。聖書協会共同訳はそう訳しています。このイエス様の御言葉はとても大切な御言葉なのです。病気を患い、苦しんでいる人自身の願いや意志で、病気が癒されるのではなく、神の律法の定めに照らして、祭司たちの確認を得なければならないのです。自分自身の病気なのに、自分の願いや意志だけでは癒されないのです。重い皮膚病を患っている人。神の律法に定められている病気であったため、この病気が癒されたことを確認し、証明してくれるのは祭司でした。大祭司であるイエス様は、証明書を発行するのではなく、この病気の癒しを望んでくださいました。病気の人は、イエス様、あなたが望んでくださるなら、私を清めることがおできになります、と。あなたが望んでくださらなければ、私の病気は癒されることがないのです。イエス様のお答えは、私は望む、清くなれ、なのです。よろしい、では不十分なのです。イエス様ははっきりと私は望む、とおっしゃっているのです。病気だけでなく、人間の罪、神様への不信についても、イエス様のお答えは示されています。私は望む、と。私たちが赦され、神様と仲直りし、神様に祝福されることを、イエス様は望んでおられるのです。