2022年1月23日 朝礼拝『人々はその教えに驚く』大賀幸一牧師

申命記30:11-15 マルコによる福音書1:21-28

  汚れた霊は、イエス様と出会って、かまわないでくれ、と言っています。原文では、我々とあなたとに何があるのか?と言っています。汚れた霊は、我々、複数なのです。汚れた霊のは、イエス様との関係が出来ることを望んでいません。この後汚れた霊はただ追い出されただけで、滅びてはいないのです。しかし根本的な解決がなされて、自由であり、自分の体が取り戻される方が良いことなのは間違いありません。それなのに人間、汚れた霊は、イエス様に対して、これ以上関わらないでくれと言います。イエス様が近づかれることを望まないのです。それは本当の自由を、誰にも支配されない自由を人間が知らないからです。イエス様は汚れた霊の言う、かまわないでくれという状態を打ち壊します。黙れ、出て行け、とこれ以上人間を支配下に置くことを許しません。汚れた霊は追い出されて行きます。汚れた霊がもはや誰にも侵入することが出来ず、誰をも支配下に置けない状態を生み出して行くこと、それがイエス様のなされることです。この出来事を目撃した人々は、イエス様に対して、権威ある新しい教えと言いました。何故なら汚れた霊が従うからです。人間は汚れた霊に対して何もなすことが出来なかったのです。しかしイエス様の命令は、汚れた霊をも従えます。人間を支配し、苦しめる力から解放し、自由を健康を与えるのは、イエス様の命令です。神様は私たち人間の生命、そして人生に関わってくださり、私たちを束縛しているものから解き放ってくださいます。イエス様の命令が、イエス様の御言葉が私たちの中にずっとあるなら、もはやどのような汚れ霊の侵入も支配も束縛もありません。イエス様の命令と御言葉が私たちの中にあるようにすることが必要なのです。そして神様の憐れみが必要です。