2021年11月7日 朝礼拝『主はそれを認めた』大賀幸一牧師

創世記15:1-11 マルコによる福音書12:18-27

  アブラムは、現在のイラク、カルデアのウルという古代都市から遥々大移動してカナン地方に移住しました。アブラムにも弱いところがあります。こどもが与えられないということでした。神様を信じて歩んで来ても、こどもが与えられないということは、アブラムに大きな失望を与えることでした。ところが神様の言葉は、アブラムにはこどもが与えられ、そのこどもがあなたのすべてを受け継ぐということです。そこで神様がなさったのは、アブラムを外に連れ出し、星を見せることでした。神様に連れ出されて、見させられたことが、私たちの人生に新たな希望をもたらせるのです。星を数える、それはアブラムにも、自らがいかに小さな者であるかという自覚とその自分が大きな大きな世界の中に置かれていることを認めるしかありません。そして響いて来る神様の御声があります。あなたの子孫はこのようになる、と。それでもアブラムがこの約束の実現を見るのは、ずっと後になってのことです。神様の約束がすぐさま実現するのではありません。神様はアブラムの生涯を通じて、この約束を成し遂げてくださいます。神様は私たちの人生においても、私たちの人生を通して私たちのための救いを成し遂げくださるのです。信じられないアブラムが天を仰ぐようにしてくださったのは神様です。神様が求めることは、平和であり、仲間と分かち合うことです。アブラムは、生涯旅人として地上を旅し続けました。辿り着くべきところは、神様が約束した土地です。それは地上の土地というよりも神の国に辿り着いたというべきでしょう。アブラムを導き出された主なる神様は私たちをも導き出されました。神の国を受け継ぐ者として、私たちの人生の旅路のすべてを導いていて、救いへと進めているのです。