ホセア書6:1-6 マタイによる福音書9:9-13
今日もカファルナウムの町での出来後です。カファルナウムには税関が置かれていました。収税所の所長がマタイという人物でした。そんなマタイさんでしたが、イエス様の一声に立ち上がってイエス様に従って行くのです。その後、イエス様はその家で食事をしています。“その家”とだけあります。聖書協会共同訳では”家”とだけあります。マルコ福音書では、徴税人レビの家で食事をしたとあり、ルカ福音書でもレビの家で大宴会をしたとされています。しかもマタイ福音書では、徴税人、罪人たちは食事中の家に大勢で押しかけて来て、イエス様と一緒に食事をしているので、マルコ、ルカ福音書のように最初から招かれて食事をしているのとは違っています。もしかしたら食事をしている家とは、イエス様たちがカファルナウムの町で拠点としている家、ペトロたちの家かもしれないと想像されています。ファリサイ派の人々は自分だけでなく、他の人が神様の教えと定めに対して熱心であることを求めます。中でも異邦人と呼ばれる外国人と接する機会のある徴税人や食事の時に手を洗わなかったりしただけで罪人とされます。ちょっと間違ったり、忘れてしまっただけで、罪人と呼ばれてしまうのです。イエス様が徴税人、罪人たち、弟子たちと食事をしている家、その家はイエス様の家です。そこに大勢の罪人たちが押しかけて来ますが、イエス様は喜んで一緒に食事をなさってくださいます。ホセア書6:6を引用し、私が喜ぶのは、愛であって生贄ではなく、神様を知ることであって、献げものではない、と教え、私たちをイエス様の家に迎えてくださっています。イエス様のおられる家、それこそが神の教会の姿を示していると考えます。罪人である人間を喜んで迎え入れてくださり、共に食事をする家です。神の教会は罪人を招くために、イエス様と共に歩んで行くのです。