エレミヤ書31:15-17 マタイによる福音書2:13-23
マタイ福音書の常套句に、預言者を通して言われていたことが実現した、という言葉があります。預言者が伝える神様の言葉は人々に神様に立ち帰ることを求めるものであったり、最終的には人々の希望となるものです。イエス様が誕生された時、ヘロデ王によってベツレヘム一帯の2歳以下のこどもたちが惨殺されました。この出来事をマタイ福音書は預言の実現であると描いています。それはエレミヤ書31章15節以下の預言の実現とされています。この預言は、本来ユダ王国がバビロニアによって滅亡し、捕虜として多くのものが連れ去られたことを示す内容です。ただ連れ去られて終わりではなく、人々は再び帰って来ることを預言したものです。神様の与える預言の言葉は、人間の愚かさを深く刺し貫くものであるだけでなく、そこから人々を取り戻し、帰るべきところへと戻してくださる言葉なのです。
今年の地区新年礼拝はオンラインでの礼拝となりました。森田喜基教師が礼拝説教をなされました。森田教師は、しばらく神戸の大学でキリスト教を教える働きをなさっていた経験を話しておられました。若い女性たちに聖書のお話をしていると困ることが出てくると。奇跡や復活のことです。キリスト教はこんなことを信じているのか、と少々呆れられる部分があると。取り上げられた聖書個所は、ガリラヤ湖の上を歩いて渡るイエス様のお話です。イエス様の弟子たちも信じられないものを見たと記しています。よくよく見るとそれは自分たちの良く知っているイエス様だと分かり、イエス様を自分たちの乗っている船に迎え入れた。すると弟子たちが目的地としていたところに辿り着いていたのだった、というお話です。理解することと信じることは別の事柄です。私たちは、神様のことが全て分かったから神様を信じているなどではありません。それなのに神様が私たちに近づいて来てくださり、少しだけ神様は私たちに納得させてくださり、安心させてくださるのです。神様の言葉は、私たちを力づけ慰め、希望を与えてくださるのです。新しい年を神様に導かれて歩みましょう。