申命記 18:15-22 マタイによる福音書 5:38-48
モーセの時代、神の民は神様の前に立つことに恐怖し、遂にはモーセ一人だけが神様の前に立つようになり、モーセ一人を通して伝えられることになったと言われています。神様はモーセの後にも預言者を与えると約束されたました。預言者を与えて、神様と人間とをつなぎ合わせ、神様の御言葉を人間たちが聞けるようにすると神様は約束されたのです。モーセの後にもたくさんの預言者が神様から遣わされました。そして人間たちは、預言者が語る神様の御言葉を聴きませんでした。それでも神様は預言者を遣わして、私たちに語り続けています。そして神様は、あなたがたは彼に聞き従わなければならない、と求めています。私の言葉を語るのに聞き従わない者があるならば、私はその責任を追及する、と。神様の御言葉を語られる彼とは、もちろん私たちのイエス様のことであると考えるべきでしょう。復讐することは当然だと、ユダヤの人々は考えていました。しかし、イエス様は、復讐してはならない、と語られました。またイエス様は、敵を憎め、と命じられているが、敵を愛し、迫害する者のために祈れ、と語られています。これが、神様がお遣わしになった“彼”を通して語られた神様の御言葉です。とても私たちには実行不可能です。人間にできることではありません。しかし、この神様の御言葉を聴いて行くことが、きっとこれからの私たちの歩みに必要なことなのです。そして、神様が導いてくださらなければ実現できない事柄です。神様は、いつも誰に対しても太陽を登らせてくださいます。誰に対しても雨を注いでくださいます。これが神様の深い愛なのだと思います。神様の御言葉を聴いて、神様に従って、完全な者、完全へと進みましょう。神様が私たちに語り続けてくださり、養い、導いてくださるから、安心して進むべきです。私たちは不完全でも、神様は完全なのです。