エレミヤ書50:4-5 ペトロの手紙Ⅰ2:11-25
この世の事柄にはあまり深く関与すべきではないということでしょうか。人間の立てた制度に従いなさい、と教えています。統治者、政治、制度に対して文句や批判をすることを控えることを求めています。当時は奴隷制社会、無慈悲な主人にでも奴隷たちは従いなさい、と勧めています。全てにおいて耐え忍ばなければならないのが、神様を信じる者たちの歩む道なのでしょうか。第1ペトロ書は、「善を行って苦しみを受け、耐え忍ぶことが神様の御心に適ったことです。そのためにあなたがたは神様に召されたのです。そしてキリスト・イエスもあなたがたのために苦しまれたではありませんか。その足跡に続くようにイエス様は模範を示されたのです」。23節に、「イエス様は、罵られても罵り返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました」と示されています。だから神様を信じる者たちも、罵らず、脅さず、耐え忍ぶべきなのだ、と求めています。イエス様が、正しくお裁きになる方、天の神様にお任せになられた、委ねられたことは、全くその通りです。しかし、イエス様は間違っていることを間違っていると言わなかったのではありません。正しいことは何かをはっきりとお示しになりました。それが権力を持つローマ人であろうと、ユダヤ人の大祭司であろうとそうされました。イエス様は、罵り返すことはしません。脅すこともしません。そして何度も何度も、神様に正しい裁きを委ねられたのです。イエス様自身が正しい裁きを下すこともできます。しかしなさらなかったのです。これまでの間違いや過ち、足らなかったところについては、繰り返し全て神様に託したのです。神様は全てを赦し、全てを整え、全てを元通りにしてくださる方だからです。「イエス様が神様に任された」のは1度ではなく、何度も繰り返しなさっているのです。私たちも神様が忍耐して、待っていてくださったから、神様のもとに戻ることことが出来ました。神様もイエス様も私たち人間世界のために今も忍耐してくださっています。愛して待っていてくださっています。正しき良い道はすでに示されています