出エジプト記34:5-7 ローマの信徒への手紙7:1-6
パウロは、夫が死ねば妻は自由になれる、と言っています。夫が死ねば、妻を縛り付けていた律法から解放される、と言っています。まるで結婚は束縛以外何ものでもないような話です。パウロが言っているのは結婚という制度、社会規範としてでしょう。そして伴侶の死にによってその規範から解放さることはその通りです。これをイエス様の死によって神の律法から解放される私たちを考えているのです。神の律法だけを取り上げると、夫が死ねば神の律法はいらなくなるというものではありません。神の律法は永遠のものです。神様が創造された世界のルールなのですから。またパウロは、神の律法がなければ、私たちは神様に背くことを知らないままだった、と教えています。神様の造られた世界の中で皆さんと生きて行くために、ルールが必要です。それは皆さんを支配したり、束縛したりするためのルールではないはずです。ところがルールを破る者、無視する者が現れます。ルールなど無くしてしまえばすべては解決されるのでしょうか?神の律法と私たちの問題は、基本的に、私たちが神様から遠く離れていることに原因があります。本当は神様は私たちに大切なことを与えているのに、私たちはそれが分からないのです。この壁、隔てを壊すために、神の子が死ななければならないほどの大問題なのです。“神の律法に対して死んだものとなる”とは、神の律法など不要だというのでなく、夫の死にたとえられるように、イエス様の死を私のための大切な出来事として受け入れることです。それでも神の律法は永遠のもので、私たちを守るものです。現在、新しい生活様式、というのがあります。特にそんなに新しいとは思えないです。文字ではなく、霊に従う新しい生き方があります。それは特別新しい生き方ではありません。前からあったことです。規則や定めを詰め込み、束縛するのではなく、神様の霊を受けて、神様の霊に導かれて生きて行く道です。私たちは神様の愛の中にしか生きられないのです。ただ人間はそれさえ気づかないのです。神様の愛に支えられ導かれて人間は生きて行きます。