2020年8月2日 朝礼拝『平和に役立つことを』大賀幸一牧師

列王記 上17:13-14 ローマの信徒への手紙14:10-23

 今日は、ローマの信徒への手紙が与えられました。パウロは言います。「何故自分の兄弟を裁くのか」と。コリント教会で発生した、肉屋さんの肉を食べてもいいかどうかというトラブルです。当時肉屋さんで売っている肉の正体は、偶像の神々に献げられた動物の肉が取り降ろされて肉屋さんの店先に並んでいるという状況でした。キリスト教会は、世界中のどの教会においても、偶像崇拝を禁じていました。神様でない者を神様とはしないということです。肉屋に並んだ肉、偶像の神々に献げられた肉を食べることは、偶像崇拝になるのではないかということで、肉を食べないとした人、別に問題ないとした人の間でトラブルになったのです。パウロは、14節に、それ自体で汚れたものは何もないと、私は主イエスによって知りました、と言っています。しかし21節、肉を食べない方が良い、とパウロは結論しています。なぜ心配しないで食べなさい、とパウロは言わなかったのです。矛盾しているとも言えます。何故制限するのか。それは、弱さを覚える兄弟姉妹のためです。兄弟姉妹たちのつまずきとなるならつまずきを取り去ろう、とパウロは呼びかけています。全ては清いのです。汚れているものなどはありません。だから何をしても許される、ということとは違い、やはりしてはならないことがあります。パウロが示した道はそちらの道でした。神様の教会では、弱くされたものを躓かせることなく、一緒に歩いて行くことが求められています。何故なら、17節に、神の国は飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです、とある通りです。神様の教会は、天においても地上においても神の国が実現することを願い求めています。その神の国は、神様が遣わされた聖霊なる神様に教えら、導かれ、義が、平和が、喜びが満ち溢れる世界なのです。全ては清いのです。しかし弱くされた兄弟姉妹たちを躓かせるのではなく、イエス・キリストが兄弟姉妹のために死んでくださったこと、神様の働きを無にしてはなりません。私たちは聖霊に導かれて、平和のため、互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか。