申命記6:24-25、ローマ10:5-17
1)御言葉はあなたの近くにある
私たちの救いはどこにあるのか。私たちの救いは、あなたの近くに、あなたの手の中にあるのです。13節に、「主の名を呼び求める者は誰でも救われる」とあります。救いとは、主なる神様のお名前を呼ぶことなのです。主の名を呼ぶとは、主なる神様を信じるということです。9.10節にこうあります。「人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われる」。心の中で神様を信じること、そして自分が信じていることを告白することが大切なのです。信じている内容とは、イエス様が神様により復活されたことを心で信じること、イエス様が私たちの主、救い主、神様であると告白することです。つまり、私たちの救いとは、私たちはどうしてイエス様を私たちの救い主、キリストとして信じるのか、ということになります。たとえばローマ3:24「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」とあります。私たちは神様の恵みで、無償で義とされる、救われるのです。そのためにイエス様の贖いの業があったのです。それはもちろんイエス様の十字架のことです。ご自分を犠牲にし、私たちが無償で、ただで、恵みによって救われるためです。イエス様が死んだのは、私たちの身代わりとなるためです。イエス様が復活させられたのは、イエス様が永遠に私たちの救い主、キリストであり続けるためです。
私たちはいつもどこかに不安を抱え、疑いを抱えています。本当に私は救いわれているのだろうか、なぜ神様は救ってくださるのだろうか。神様は私を愛しているのだろうかなど。その答えは、今日も与えられていいます。救いはあなたの近くにある。口に、心にある、と。私たちが救われるために、誰か選ばれた特別な人が遥か天に昇り、私たちに神様の御言葉を取って戻って来てくれたらよいのにと人は言います。遥か海のかなた、あるいは人間の死の底にまで行って、私たちの命が助かるために大切な神様の御言葉を取り戻してくださる人がいないだろうか、と探していますが、私たちが救われるための神様の御言葉は、既に私たちの近くに、私たちの手の中にあるのです。神様が私たちにイエス様を遣わして、神様の愛と恵みを示してくださったからです。イエス様の流された血が私たちを清めたからです。そして神様の霊を新たに注ぎ、私たちの命を再び初めてくださいました。あなたの救いは、既にあなたに与えられている。
2)宣べ伝える人がいなければ
また、私たちが神様を信じるには、私たちに神様を宣べ伝えてくださる方が必要です。神様が宣べ伝える方を遣わしてくださるのです。そして、私たちは心で神様を信じ、告白します。私たちの心の中で信じていればよいだけではなく、告白することが求められます。神様は、神様を信じ、共に歩んで行く神の民を創造されているのです。私たちの告白を聞いてくださる神の民が必要なのです。それは私たちの教会ことです。そしてすべての始まりは、言葉です。神様の言葉、キリストの言葉が語られることです。全てはここから始まって参ります。私たちの救いも、私たちの命も、神の教会も、神様がお遣わしになった神の子キリストの言葉を聞くことからすべてが始まるのです。わたしたちも御言葉を聞きましょう。御言葉を宣べ伝えましょう。