サムエル上9:27-10:7、コリントⅡ1:15-22
1)パウロとコリント教会の間に起こった事件。
パウロは、コリント教会のクロエの家の者たちから依頼を受けて、コリント教会の問題解決に乗り出したのですが、これが大失敗だったのです。問題解決どころか、問題をさらに深刻化してしまったのです。特に深刻だったのは、教会内の分裂、神様に愛され救われているのだからもはや何物にも束縛されないとし何でも自分たちには許されているのだという大きな勘違いをし始めた人々の存在などありとあらゆる問題が発生していました。ところがパウロは問題解決ではなく、いっそう問題を複雑化させたので、パウロ自身への不信感も広がっていったのです。不安な時、混乱の時、自分たち自身がどこに立っているのかが明らかにされる時です。パウロ自身は、17節、私の計画は人間的な考えによることと考えるのか?と訴えています。また、18節、神様は真実な方です、とおっしゃっています。その通り神様は真実な方です。しかし、神様ご自身が私たちに全てを指示されるわけではありません。神様は世界のために、人々のために、教会のためにも、神様が愛する者を遣わされてお話になります。大事なことを伝えてくださいます。神様が私たちの命と救いのために遣わされたのは、人間となられたイエス様でした。イエス様はさらに私たちのために使徒たちや様々な人を遣わして、福音を、イエス・キリストの真実をお話しくださいました。そして人々は、神様を信じたのです。イエス様を信じたのです。
2)然りだけが
パウロは言っています。イエス・キリストにおいて“然り”だけが実現したのです。また、神の約束はことごとくイエス様において“然り”となったからです、と。私たちは皆、イエス様によって、然り、はい、大丈夫、とされました。私たちはイエス様によって、神様から認められ、肯定され、愛されています。それがいつしか、変わってしまったり、覆ったり、消え去ってしまうことはありません。そしてこのことを私たちに伝えたのは、人間、神様が遣わす人間なのです。だから時に人々は見失い、迷いますが、神様が与え示したことまでも失ってはなりません。もちろんこの然りは、人間から出て来たことではありません。神様から出ているのです。私たちを固くキリストに結び付け、油を注いでくださったのは神様だからです。そして私たちと永遠に共にいてくださる存在、聖霊を与えてくださっています。
3)この方を通してアーメン 私たちに遣わされた人間を通して神様が与えてくださった“然り”を信じて歩みましょう。私たちはこの方を通して受けたことを大切にすべきです。この方を通して神様は私たちに命と恵みを与えてくださいました。この方を通して信じるべき、神様に聞き従って、歩むべきです。