ヨシュア記24:14-24、ガラテヤ2:11-21
1)ヨシュアの時代の信仰告白
神の民をエジプトから解放し、約束の土地へと導いたのはモーセでしたが、そのモーセも亡くなり、後を継いだのがヌンの子ヨシュアです。ヨシュアの指導のもと、神の民は約束の土地へ入り、神様から土地を与えられました。そのヨシュアも高齢となり、若い世代へ継承しようとした時、シケムという町に皆が集まり、神様を礼拝しました。ヨシュアは皆さんに求めました。あなたたちは今日選択してください。自分たちが信じ従う神様を選んでください、と。もちろん神の民は、私たちをエジプトから救い出された神様を信じます、と。でもヨシュアはそれを許しませんでした。それは無理だ、あなたたちはきっと神様を裏切り、神様を捨てることになるだろう。その時神様はあなたたちを愛し、豊かな恵みを与えて来られたが、あなたがたの裏切りを怒り、大いなる災いをもって滅ぼされる。ヨシュアは、人々の信仰告白をそのまま受け入れませんでした。神様を信じ仕えることは決して簡単ではないからです。覚悟をもって神様に従うことを求めました。
2)イエス・キリストの真実
ガラテヤ書を読みましょう。福音の真理と呼ばれる大切なことを伝える箇所です。“ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、私たちもイエス・キリストを信じました”同じ個所を聖書協会共同訳で読みますと、“ただイエス・キリストの真実によるのだということを知って、私たちもキリスト・イエスを信じました”違いにお気づきになられたでしょうか。“イエス・キリストへの信仰”という部分が、“イエス・キリストの真実”となっています。大変大きな違いです。イエス・キリストの真実とは、正しくイエス様の全てです。イエス様の教え、み言葉、愛、十字架、復活です。イエス様が地上に生まれて、私たちになさってくださったすべてのことです。ご自分の全てを私たちのために献げてくださったことです。人間が神様によって義とされるのは、義というのは、神様によって正しいと認められることです。神様の御心に適った者、神様の愛に相応しい者です。そして神様の救いと同じ意味です。人間が神様によって義とされる、救われるのは、私たち人間が何かをしたからではありません。ヨシュアも言いました。あなたがたは神様に従うことはできない、と。ではどうやって私たちは救われるのでしょう。神様に認められる者となれるのでしょう。それはイエス・キリストの真実なのです。そこにはもはや私たちがイエス様を信じる信仰さえも求められていないのです。ただ一人イエス様がなさったすべてが、私たち人間を救うのです。この恵みを私たちは知らされて、感謝と喜びの故に、イエス様を信じるのです。人間たちの努力、力、知識では、自分たちを救うこともできないのです。ただイエス様の真実が、私たちを救うのです。これは神様が、イエス様によってなさってくださった大いなる出来事です。私たちはただ感謝、感謝、感謝をもって、神様を信じるだけです。