列王記下6:8-17、エフェソ5:6-14
1)虚しい言葉
エフェソ書は教えます。虚しい言葉に騙されるな、と。では何が虚しい言葉なのでしょう。虚しいとは、空っぽであるといおうことです。必ずしも何が虚しいのかは、エフェソ書は明確にしていません。少し前の節には、汚れたこと、貪欲、卑猥、下品な冗談、偶像崇拝などが上げられていますからそれらは虚しい言葉なのでしょう。虚しい言葉の真逆にあるものが、光です。光の子として歩みなさい、と教えてくださっています。その光とは、主に結ばれているから光なのです。私たち自身が光そのものとなっているのではなく、光である神様、イエス様と結ばれていることでわたしたちも光輝いている、光を得ていると言えます。この光と結ばれているからこそ、善、正義、真実が生じるとあります。光である神様、主イエス様と結ばれることなくして、これらはあり得ないのです。また世界は光と闇に分かれているというのではありません。神様は永遠に光輝いて、全てを照らし続けています。すべての命が太陽に照らされて、生み出され、成長するように、神様の光によって私たちの命は力を与えられ、知識を得て、真実と正義を実行することができます。私たちだけでは、善と真実と正義に到達できないです。神様とイエス様と結ばれているなら、光になるのです。
2)全てを明るみに出しなさい
エフェソ書は、暗闇の中にとどまらずに、全てを明るみに出しなさい。そうすればすべてが光によって明からにされます、と教えています。光である神様、イエス様と結ばれなければ光にならないのです。光から逃げ出し、遠ざかっている人間たちが暗闇を作るのです。暗闇が初めからあったのではありません。全て神様を信じて神様の御前に明らかにするのです。全て神様に委ねて、自分たち自身の弱さも弱音も迷いも不安も皆神様の御前に明らかにするのです。神様は私たちの全てを知ってくださいます。聞いてくださいます。それらも皆イエス様と結ばれて光となるのです。
3)時をよく用いなさい。
エフェソ書5章16節に、今は悪い時代なのです、とあります。まさにその通りです。そして、時をよく用いなさい、と教えています。神様に結ばれて真実が明らかにされるのに、時が必要なのです。全てがすぐさま明らかになるのではないからです。そのために、私たちには、神様を信頼して、神様が全てを明らかにしてくださるまで時を待たなければなりません。
4)復活の主が私たちを照らされる 目を覚ましていなさい、とイエス様は弟子たちに求められました。ところが弟子たちはイエス様と一緒に祈り続けることはできませんでした。今神様は私たちに、目を覚まして祈っていなさい、と求めています。必ず神様は、私たちに示してくださることがあります。神様は私たちをその愛をもって照らしてくださっています。復活の主も、私たちを照らしてくださっています。