申命記8:1-6、フィリピ4:10-20
1)荒野の40年
神様は神の民を荒野の旅の中で育て行かれました。神の民は、神様の教えをちゃんと聞いているか、神様の教えをちゃんと守っているか、それが試されたのが荒野の旅でした。神様は必要な御言葉、知識、知恵を与えて、荒野を旅する方法を、道を与えてくださっています。何もなく荒野を旅させたのではありません。求められたのは、神様の御言葉を信じるかどうかです。荒野の旅は40年間と言われます。つまりほぼ人生の旅路そのものの中で、人々は神様を信頼し続けられるかが求められたのです。
2)投獄されているパウロからの手紙
フィリピ書を読んでいただきました。この手紙を書いたパウロは、現在投獄されています。ローマであるとかエフェソであるとか言われています。投獄された理由はもちろんイエス様を信じているからです。当時はまだ信仰の自由もありませんでした。パウロは自分でイエス様を信じることが間違いでないか、正しいことかを立証しなければなりませんでした。
3)私への心遣い
フィリピ教会は、パウロが投獄されたことを知って、教会からエパフロデトという人物をパウロのもとに派遣しました。パウロを支援し、支えるためです。それは大変な負担であったのです。しかし、愛するパウロのためにフィリピ教会はエパフロデトを送り出しました。ところがそのエパフロデト自身がパウロに会えたけど、病気になってしまったのです。もちろんパウロはフィリピ教会の好意を大いに感謝し、喜んでいます。フィリピ教会は、パウロの宣教伝道を支えようとしました。獄中にあるパウロの生活を支えるだけではありません。パウロを通してなされる神様の御業に協力したのです。
4)あなたがたの他にはない
15節に、パウロたちの福音宣教の初めから協力し、支えてきた教会はフィリピ教会以外ありませんでした。実は15、17節には、ロゴスという言葉があります。ロゴスと言えば、神の言葉の言葉ですが、ここでは言葉ではありません。勘定、会計、決算を意味しています。パウロは、フィリピ教会の皆さんに、もっと贈り物が欲しくてこのようなお話をしているのではありません。逆にフィリピ教会の皆さんのお勘定、決算のためにこのお話をしているのだと言っています。フィリピ教会の皆さんが献げたのは、もちろん自分たちの利益のために捧げたのではなく、パウロの宣教伝道を支え、神様の福音が伝えられるためです。苦労して人を送り、パウロを助け支えるためです。それらは、最終的にはフィリピ教会の人々の決算の時、神様による豊かな報いとして彼らの会計を満たすものとなるでしょう。神様は、あなたがたの必要をすべて満たすことができます。そして満たしてくださいます。どんなことでも思い煩うのはやめなさい。何事につけ感謝を込めて祈り願いを捧げなさい。求めていることを神様に願いなさい。人知を超える神の平和があなたがたの心と考えとをキリスト・イエス様によって守ってくださいます。神様とイエス様を信じて従って行きましょう。