2020年1月26日 朝礼拝 『弱さの逆説』朴 シネ先生

士師記6:14-16、Ⅱコリント12:7-10

 今朝の説教題は「弱さの逆説」です。ここでいう逆説というのは、「一見、真理にそむいているようにみえて、 実は一面の真理を言い表している表現」のことです。現代社会において弱さは肯定的に受け止められないどころか、むしろ悪のようにあってはならないもののように扱われています。しかし、聖書はこのような弱さの理解とは全く違う意味、すなわち弱さの逆説的な意味について語っております。

 ギデオンはイスラエルの民を救うために神に選ばれた士師であります。ギデオンが主に召命を与えられる場面が記されている本日の聖書の箇所には、我々が考えている勇者のイメージとはかけ離れた臆病で小心者の性格の一面が現れております。救いの御業は人間の力によるものではなく、ギデオンは「弱い存在だったにも関わらず」選ばれたのではなく、弱い存在だったからこそ神に選ばれたのです。

 私は2002年に夫キムドヒョン牧師と共に韓国メソジスト教団の信徒宣教師として日本に派遣されました。日本に派遣されるまでの2年間私は主に選ばれたが酷く悩むギデオンのような心境でありました。しかし、主の呼びかけに「はい」と答えた以上、その使命を力尽くして果たそうと思いました。有能な宣教師になろうと思った私は、あらゆる勉強に励みました。日本語や日本の文化また歴史を学びました。さらに日本方々との出会いのきっかけを作るために韓国の伝統舞踊、料理、また韓国語の指導法を学び、何かの時に役立てようと美容技術までも取得ました。まさに、その準備で忙しい日々を過ごしていたある日、私に全く想像もしていなかった出来事が起こりました。弟の突然の死でした。私はすべてのものを失ってしまったかのような大きな衝撃を受けました。私は何もできない、完全な無力感に苛まれてしまいました。しかし、同時にこの深い絶望は今まで隠れていた生きることの深い真実に目覚めさせてくれました。死のない偽りの世界ではなく、より広くてより深い、悲しみと喜びが共に存在する死のある世界へと私をいざなってくれました。弟の死は私にとって消え去ることのない大きな苦痛と深い傷をもたらしましたが、その苦痛その傷は、私のアイデンティティとなり、宣教師としての働きの原点となりました。この深く傷ついた弱い心が、日本に派遣される宣教師として持っていくべき、たった一つのものであることをようやく分かるようになりました。弱さのない人は誰一人いません。弱さはすべての人間に通じる普遍的なものであって、人間が背負う弱さは、生かされている存在ゆえにもたらされるものであります。みなさま、自分の弱さを誰にも気づかれないように必死に隠していないでしょうか?一人で悩まないで、私を絶えず苦しませているこの弱さの、その理由を主に尋ねましょう。

弱いから勇者になれないのではなく、
弱いから使徒になれないのではなく、
弱いから宣教師になれないのではなく、
弱いから教会に行けないのではなく、
むしろ弱いからこそ私たちは神に選ばれて、この場所にいるのです。

 私たちは皆弱い存在であり、割れやすいもろい器です。このような弱さの中にこそ主の力は十分に発揮されるのです。だから私の弱さの中に宿っておられるキリストの力を、弱い私だからこそ身をもって体験し、証する者になりたいと思うのであります。