アモス書8:4-7、ルカ16:1-13
1)無駄遣いする管理人
ある金持ちの資産管理をしている管理人が、告発を受けました。主人の資産を無駄遣いしているというものです。無駄遣い、とありますが、ばらまき、と書かれています。主人の資産を勝手にばらまいている、流用しているのですから、不正な行為であることに間違いありません。しかしこの無駄遣いは、管理人の私腹を肥やしているとも考えられないのです。ばらまいている、とは浪費や詐欺行為とは異なるからです。実はこの管理人、イエス様自身の事ではないかという理解もあります。そうするとこのお話の示すところは随分と変わって参ります。また主人はこの管理人の行為を最終的には認めているのです。主人の資産を不正に動かしている点では、犯罪です。また、管理人が、主人に借金のある人々を呼び出して、借金を棒引きしていますが、油100バトス、新共同訳聖書などでは1バトス=23lとありますが、実際には時代によって変化があり、30L前後だったと言われています。すると100バトスは300L。果たしてそんなに借りられるものでしょうか。小麦100コロス。1コロス=230Lで、100コロスは23000L。こちらも異常な量です。1個人が借用する量ではありません。それを、管理人は、方や半分に、もう片方は2割引きにしたのです。
2)主人に借りのある者
さてこの物語で一番利益を得ているのは誰か、主人に借りがある人々です。彼らは何故かは分からないが、管理人の好意で、莫大な借財を大きく返済することが出来たのです。この管理人もしも今の仕事を失うことになったとしても、誰か自分のために助けてくれるものがあるに違いないと。資産家であるお金持ちの主人、不思議ですが、勝手に借金が減らされて、資産を失ったはずのこの主人ですが、この人は決して怒っていないのです。逆に管理人のしたことを認めているのです。主人が貸しているものは、実に莫大な量と数です。返せるはずのない量と数ではないでしょうか。お金持ちの主人は、僅かでも人々がその借金、負債を返済し、自由になることを求めているのです。管理人の不正な行為は、正しいとは言えません。しかし、返済不可能な負債を追っている人々には、大きな喜びと希望を与えてくれました。いつの間にかに自分たち自身では返せないぐらいの負債を追うようなってしまった人間、その負債を負わせているのだけれども、出来ることなら負債をすべて免除してやりたい、少なくともその重荷を軽くしてやりたいと考えている主人があります。その間にあって管理人は、本来は主人の財産のために仕事をすべきですが、人間たちのために、負債を負った人間たちのために働いておられるのです。
3)神と富とに仕えることはできない
イエス様は、このお話の締めくくりに、どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない、とおっしゃいました。そして、私たちは、どちらに仕えているのか、と問われています。人間は二人の主人を持つことは出来ません。どちらかしか使えることが出来ないからです。これからも神様に仕えて行きましょう。