2019年9月1日 朝礼拝 『束縛から解いてやるべき』大賀幸一牧師

アモス書5:18-24、ルカ13:10-17

1)病の霊 
 ルカ福音書に、”病の霊“による病気と紹介されています。イエス様の時代には、病気の原因の一つが悪霊の働き、影響と考えられていました。病気の霊とされている言葉は、弱さ、無力という元来の意味を持っています。誰にでもあるのが弱さです。しかし、私たちには弱さだけしかないということもありません。弱さもあるけれども、その弱さは、私たちにとって大事な部分であったりもします。弱さは無くならなければならないのではありません。弱さがあるからこそ、私たちは大切なことを見つめることが出来るし、大切なことを知っている、ということもあるのです。
18年間病気と付き合わざるを得なかった女性。その原因は、彼女の持つ弱さだったのです。その弱さのために、彼女は、サタン、悪魔に苦しめられて来ました。サタンとは何でしょうか?聖書では、サタンは、敵対者、私たちを告発する者です。つまり、サタンとは、私たちの抱える弱さを告発するのです。お前はだめだ、と弱さを克服できない価値のないもの、と告発するのです。しかし私たちの弱さは一部分で、全部だめなのではありません。その弱さは生かされるべきなのです。弱さを失くすのではりません。弱さが用いられるべきなのです。イエス様はこの女性の病気は治ったと宣言されました。では原因である弱さが無くなったのでしょうか。たぶん彼女の抱える弱さはそのままでしょう。しかし、彼女の抱える弱さは、サタンに告発されるのでなく、イエス様とつながりました。イエス様によって全く満たされたのです。弱さは無くならないけれど、イエス様が欠けている部分を全部満たしてくださるのです。

2)安息日 
 ところが新たなトラブルが発生します。その日は安息日だったのです。神の民ユダヤの人々は、何よりも安息日を大切に保って来ました。十戒で、安息日を聖なるものとせよ、と教えられて来たからです。6日間は、何であれあなたの仕事し、安息日には仕事をしてはならない、とあるのです。仕事をしないということが定められていて、治療行為は間違いなく仕事でした。神様の定めた教え、律法に背く行為です。しかし、イエス様の判断は違います。イエス様はおっしゃいました。安息日でもあなたたちの大事な家畜たちに水を飲ますために、その束縛の綱を解いてやるでしょう。あなたの大事なこどもたち、孫たちが病気になって苦しんでいる。こどもたちを助けたいと誰もが思うでしょう。この女性を見なさい。18年間も苦しみ続けた。安息日だからだめだというのはなく、安息日だからこそ、彼女をサタンから解放してやるべきだ、これがイエス様の教えです。あなたの弱い部分はそのままでかまわない。あなたにはその弱い部分が大切である。パウロさんもそうおっしゃっています。私たちは弱さを誇ろう。十字架を誇りとする。弱さはだめなのではない。私たちの強さの源でもある。弱さを知っている人々は、神様の慈しみを知ります。神様に丸投げなのではありません。神様と共に生きるのです。神様があるからこそ私たちが生きるのです。それを覚えるのが安息日です。