2019年8月25日 朝礼拝 『灯火を灯していなさい』大賀幸一牧師

エゼキエル書12:21-28、ルカ12:35-48

1)灯火を灯していなさい
  ペトロが、イエス様に尋ねます。今日のイエス様のたとえ話は、今イエス様の周りにいる弟子たちのために語られているのですか、それともこの後にイエス様を信じるすべての人々に向けて語っておられるのですか、と。もちろん、イエス様の語られることは、弟子たちにも、現代の私たちにも語られています。
  灯火を灯していなさい、とイエス様は私たちに命じています。何のために灯火は灯されるのでしょう。そのためにイエス様は、ある主人と僕、使用人のお話、そして42節からの家の管理を任された者のお話が続きます。ある家の主人は、婚宴のために出かけています。しかしいつかは家に帰って来ます。いつ帰って来るかは分からないので、主人の帰りを待ちなさい、と言うお話です。家の主人の帰りが比較的早ければ何の問題もありません。家の主人の帰りがどんどんと遅れて行く、すると、人々の間に変化が起こって来るのです。まだ暫く帰らないのでは、いつになったら帰って来るのか、もう帰って来ないのではないか、という疑問、不安が沸き起こって来るのです。それは待つ側が必ず経験することです。帰って来ないというのは、何の根拠もない推測に過ぎません。ご存じのように、イエス様のこのお話は、イエス様が再びやって来られる、再臨と言うことについてのお話です。全て神様の計画を完成させるために、イエス様は再び来られると約束されています。ところがイエス様が来られてからすでに2000年以上が過ぎ去りました。もうとうにイエス様の再臨などはないと考えている人もおられます。しかし、イエス様は、目を覚ましていなさい、と求められます。イエス様も私たちのところに帰って来られるのです。そのために灯火が必要なのです。灯火がなければ、イエス様の帰る場所が無くなるからです。

2)祈りをもって灯火を 
 災害に遭い、愛する者を覚えるために灯火が灯ります。愛する家族を送るために灯火が灯ります。その灯火は、私たちの祈りの火で、愛する者と私たちが今も変わらずにつながっていることを覚えるためです。そして、私たちの灯す灯火は実に小さな灯火に過ぎません。しかし、一人一人の灯す灯火が集まって、こんなにも沢山の灯火が今も灯っているのです。今もこんなに多くの神様への祈りの火が灯り続けていることで、大いに喜び、慰められ、力を与えられます。そして、私たちの小さな灯火も、きっと多くの人々に同じように力を与えている事でしょう。灯火が灯される、灯され続ける、そのことで、今も多くの人々が慰められているのです。愛する者とつながっていることを、神様とつながっていることを。そして、この灯火がなければ、イエス様は私たちのところに帰って来れないのです。イエス様を迎えるために、祈りの灯火を絶やさずに灯し続けましょう。