2019年6月9日 朝礼拝 『聖霊に満たされて』大賀幸一牧師

創世記11:1-9、使徒言行録2:1-11

1)バベルの塔 
 さあ天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。古代の人々の言葉です。なぜ人間は高い塔を作りたがるのでしょう。もちろんそれだけ高い塔を造る知識と技術があるからです。古代バビロニアでは、およそ90mの塔を焼成煉瓦とアスファルトで作りました。その目的は有名になり、全地に散らされることのないようにしよう、と書かれています。何故有名になることが必要だったのでしょう。塔のある所には人が集まります。高き塔は人間たちの誇りであり、知識と技術、人間の力でありました。またそれを造りだすだけの人間の統率力、権力、支配力の象徴でもありました。だから、塔のある町を造ることで人間たちは、散らされることのないようにしようと言っています。塔のある町が人間を散らそうとする力から人間を守るのです。こうして建てられていった塔のある町は、天に届くために塔を高くしました。この人間の行動は、もちろん神様の御心に反していました。人間自らがその存在を神様に認めてもらおうとすること、それは間違いだからです。神様の御心に背いたままで、人間が神様に近づこうとすることは間違いなのです。人間たちが自分たちの知識と技術、力を持って神様に人間を認めさせるようとすることが間違いです。そんなことをしなくても神様は私たちを知っていますし、私たちを認めてくださっています。神様によって神様に近づくことが私たちに必要なのです。さて主なる神様は天から降って来て、人間が造った塔のある町をご覧になられ、そして決断されました。その決断は、塔のある町を破壊する、塔を破壊するでもなく、人間たちの言葉を乱されたとあります。言葉を乱された人間たちは塔のある町を作る事を止めてしまいます。実際に古代バビロニアに塔のある町は無数にあったそうです。それらの町は互いに争い合い破壊し合い、時には災害に押し流されて、遂に塔のある町は放置されます。人間が造った塔は正に偶像化し、神様でもないのに神様のようなものとして崇められましたが、今では朽ち果てています。現在高い塔の多くは通信、情報のための塔です。そこから流れ出る沢山の情報、言葉は、多くの人々の生活に大切なものです。ところが現在その情報、その言葉が真実であるかどうかが何よりも問われているのではありませんか。真実であるなら人々を生かしましょう。偽ならば人々を迷わせ、苦しめることとなるのです。

2)ペンテコステ 
 今日天の神様から発した聖霊は降って来て、人間たちを教え導きます。人間を混乱させるためではなく、人間が新たに生きるためです。人間が失っていた大切な情報をもたらすためです。私たち人間が真に生きて行くためには、神様から発信される真の情報を受けて、進むべきです。大地の塵に帰らなければならない人間ですが、その人間が神様を知るために聖書を読まなければなりません。神様と交流するために人間は祈らなければなりません。神様の愛と神様との契約が確かであることを覚えるために、人間はただ信じることが必要です。そしてその全てのことで、聖霊が働いてくれます。わたしたちは、聖霊の働きを信じるべきです。聖霊が、教え、導き、慰め、癒し、守り、支え、助け、弁護し、執り成してくださる様々な形で私たちと神様、イエス様とをつないでいます。聖霊の働きを学ぶこと、信じることが必要です。