申命記7:6-11、ヨハネ15:12-17
1)主が心引かれたのは
申命記を読みました。神様がイスラエルと呼ばれる人々を全ての民族の中から御自分に従う民族として選ばれたいきさつが語られています。ずばり、その理由は、あなた方が誰よりも貧弱だったからだ、とあります。ただ貧弱だったからだけでもないのです。7節には、あなたに対する主の愛の故に、とあります。つまり全ては神様の愛の故なのです。何かの条件に合致したから、秀でた何かがあったからでもないのです。ただ神様が愛されたからなのです。あらゆる事柄よりも優先される神様の愛。全ての事柄の先にある神様の愛、それが私たちを選んだという理由です。
2)私があなた方を選んだ
ヨハネ福音書にも、あなた方が私を選んだのではなく、私があなた方を選んだのだ、とみ言葉は明確に示されています。その目的は、神様によって人々は遣わされ、豊かな実り、果実が残るようにするためです。神様が選び、遣わされる限り、私たちの主イエス様の名前によって私たちが願う事は、残されるのです。その実、果実が残されることが示されています。そのために、神様はあなた方を選ばれたのです。神様が選ばれたという事は、そのために神様が全責任を持っているということです。神様が全てを用意しておられるという事です。また、イエス様は、神様と私たちの間にあって、私たちを神様と結び合せてくださり、私たちの願いを祈りを、神様に結び合せてくださいます。だから、私の名によって願いなさい、と教えられています。
3)あなた方は私の友
イエス様が私たちのために造り上げた世界を思い出してください。イエス様が作ってくださった世界は、全てイエス様の奉げてくださった命で出来ています。イエス様の愛に満ち溢れている世界が、私たちの生きている世界です。イエス様によって全てが赦され、認められ、愛されています。私たちがそこに入るためには、何らかの条件を満たさなければならない、何かをしなければならない、と思い違いをしてはなりません。必要なのは、イエス様を信頼することです。神様をただ信じることです。何故自分たちでも負えなかった重荷をあえて、隣人に負わせようとあなた方はなさるのか。もうそんな必要も心配もないでは、ありませんか。全てイエス様が満たしてくださっているではありませんか、とパウロさんも言っています。神様がイエス様を遣わして造られた世界が既にあります。但しまだ完全には広がっていないのです。人間がいつも本当にこのままでいいのか?本当に信じていいのか?何か足らないのではないか、と疑い続けるからです。隣人を認めないからです。イエス様は、私たちの友です。私たちを認めておられます。イエス様を信じて良いのではありませんか。そしてこの福音を伝えて行きましょう。