2019年5月12日 朝礼拝 『一人も失わず復活させる』大賀幸一牧師

出エジプト16:4-16、ヨハネ6:34-40

1)不平を聞かれる神様 
 私たちの信じ、崇める神様はどういう神様ですか?ともし尋ねられることがあったなら、私たちはこう答えましょう。私たちの神様は、私たちの不平を聞かれる神様です、と。モーセをリーダーに、エジプトから解放されたイスラエルと呼ばれる人々のお話です。喜びに溢れてエジプトを後にしたイスラエルの人々の気持ちは、あっという間に失望に変わりました。彼らが通っている道は、荒野と呼ばれる岩石砂漠で、飲み水にも食べ物にも不足する土地でした。自分たちが向かう土地がどこにあるのかも、どんな土地からも全く分からないという、ゴールの見えない歩みでした。当然イスラエルの人々から不平が出て来ます。神様は、このイスラエルと呼ばれる人々に対して大変お怒りになったか、というとそうではないのです。神様は、イスラエルの不平を聞かれたのです。そして、イスラエルの人々に、肉とパンを食べさせると約束されたのです。神様に不平を言う、ということが良いことだとは思えませんが、神様は不平を聞いてくださったのです。更にこの不平に応えてくださったのです。これが、私たちの信じる神様なのです。

2)主が食物として与えられたパン 
 今日のヨハネ福音書、イエス様は、“私が命のパンである”とはっきりとおっしゃっています。命のパンは、そのパンを食べる人々の空腹を満たすためだけでなく人々の命を養い、成長させるためにあるのです。ただまだ人々は心からイエス様を信じてはいない、とおっしゃっています。本当に大事なこと、必要なことは、イエス様が裂いて差し出されたパンを食べることではなく、イエス様を信じることなのです。パンを食べることだけで終わってはならないのです。しかし、イエス様は、私のもとに来る人を決して追い出さない、ともおっしゃっているのです。イエス様を信じる人、救いを求めて来る人たち。まだイエス様も神様も信じられないけれども、イエス様に求めて来る人も、イエス様は追い出さないのです。私たちは神様への祈りを単なる私たちの願い事を適えてくれる便利な道具と考えていません。神様は私たちの不平さえ聞いて、応えてくださるのです。わたしたちが神様と対話することを、神様に求めることを退けることがあるでしょうか。それは神様の御心に従い、誰一人として失われず命を得るため、復活させるためだと、イエス様は約束されたのです。
3)私の指示通りにするかどうか  出エジプト記で、神様はモーセに言われました。天からパンを降らせる、そして彼らが私の指示通りにするかどうか試す、と神様がおっしゃっている事を聞きます。神様の指示に従うかどうか試す為でもあるのです。指示というのは、口語訳、聖書協会共同訳でも神の律法と訳されています。トーラーという言葉です。神様は私たちの不平を聞き、応え、私たちに豊かな恵みをいっぱい与えてくれます。綿たちが満足し、満腹した時、私たちが神様に従うかどうか試されるのです。もちろん誰もが神様に従うでしょう。果たしてそうでしょうか。神様の恵みを受けたなら、神様を愛し、従うのです。私たちはそうあるべきなのです。