ヨブ記2:1‐10、ルカ福音書5:12‐26
1)私の僕ヨブ
ヨブは、神様が認める人間です。ヨブは、無垢で正しく、神を畏れ、悪を避けている、と評価されています。この“無垢”と訳されている言葉、本来は、“完全”という言葉です。聖書協会共同訳では、そのまま“完全”と訳されています。ところがサタンは、それは当たり前でしょう。何故なら神様がヨブを守っているからです。多くの恵みでもってヨブを囲んでいるのですから、当然ヨブは神様に感謝し、神様を信じるでしょう。神様がヨブを囲んでいるその恵みを取り去ったらどうなるでしょうか?ヨブは神様を呪うかもしれません、と言ったのです。神様はもちろんそんなことはないとして、サタンがヨブから奪う事を許したのです。そのため、ヨブは財産を奪われ、家族を奪われて行きます。そしてそれでもヨブは神様を呪う事はありません。再びサタンは、皮には皮をと言います。つまり神様がヨブを守っている皮を突き破り、ヨブの命を丸裸にさらけ出したなら、ヨブは神様を呪うかもしれません。またしても神様はそんなことはないとして、ヨブを苦しめることを許してしまいます。しかし、ヨブは、丸裸にさらされても、神様を呪う事はないのです。ここに、ヨブの妻が登場します。私たちは、ヨブの妻がヨブの苦しみを理解しない、悪妻であると見なしています。しかしそうではないようです。ヨブの妻は、ヨブの苦しみをこれ以上見ていられないのです。少しは泣き言をくれるほうが、理解できることもあるのです。いつまで無垢で、完全であるのですか?もうこれ以上頑張らなくてもいいではありませんか。少しぐらい神様に泣き言を言っても。これならヨブの妻の思いも理解できるではありませんか。サタンが立証したかったのは、神様に愛され、守られている人間、その人間を守っている神様の囲いを取り外し、皮を突き破り、その命を丸裸にさらすなら、人間は神様を呪い、神様から離れて行くでしょう。元とも人間には神様に愛されるだけの何物もないのです、と言いたかったのです。これは間違いでした。
2)癒される人々
ルカによる福音書を読みましょう。重い皮膚病を患った人がイエス様の前に跪いて、御心が向けられることを願います。その後もイエス様は多くの人々を癒し、神様の御言葉を教えています。その姿を、ルカ福音書は、“主の力が働いて癒しをされていた”と記しています。神様の愛がそこに出現していたのです。さらに中風を患った人を床に乗せて運んで来た人々が、無理やり、人の家の屋根を破壊してまで、イエス様のところに連れて来ました。イエス様はこの時、中風の人の何かを認めたのではなく、中風の人を運んで来た人々の信仰を認められました。癒される人自身の信仰ではなく、周りの人々の信仰が、病気に苦しむ人を癒し、救ったのです。イエス様の言葉は、「人よ、あなたの罪は赦された」でした。
人間は、丸裸にさらされると、神様を呪い、神様に愛される者ではないことを露わにしてしまうでしょうか?それは全く逆です。ヨブが、ヨブの妻もそうではないことを証明しています。重い皮膚病を患っている人も、中風の人も、床ごと運んで来た人々も、全てをイエス様の前に委ね、さらしました。人は丸裸にされ、さらされた時、人が求めるのはただ神様だけです。そして、イエス様は、そんな私たちを良く知り、癒し、赦し、救い出してくださいます。