2018年12日16日 朝礼拝 『その子は、喜び、楽しみ』大賀幸一牧師

ゼファニヤ3:14-18、ルカ福音書1:5-25

1)時が来れば実現する御言葉 
 神様は、わたしたちに必要なことをお示しになられます。神様が私たちのために準備をしてくださいます。神様がわたしたちにその時を与えてくださいます。しかし当の人間たちは、神様の示されたことを受け入れられず、信じられず、疑いの中にあります。ザカリアとエリサベトもそうでした。ザカリアは、祭司です。くじ引きで当番として神殿の中に入ることを許されます。神殿の聖所で、ザカリアは天使と出会います。その時ザカリアは不安と恐怖を覚えました。天使は、あなたの祈りは聞き届けられた、と語りました。いったいいつのお祈りでしょうか?何故ならザカリアもエリサベトも既に高齢に達していたからです。随分昔に献げられた祈りが、今日成就したと言われたのです。昔々、神様に献げた祈りを人間の方は忘れていますが、神様は忘れないのです。そして無駄にはならないのです。天使の告げたことを理解できない、信じられないザカリアは、保証を求めます。天使ガブリエルは、あなたはこの喜ばしい知らせ、福音を信じられないから、この事が実現するまで口が利けなくなる、とされました。その通りになります。時が来れば実現する神様の御言葉を、人間は信じられなかったからです。エリサベトもヨハネを身ごもって5か月引きこもっていたとありますから、彼女もまた神様がなさったことに対して、それを受け入るのに時間がかかったという事ではないでしょうか。この様に、神様がお示しになられ、神様が準備され、神様が与えてくださるのです。しかし当の人間たちはそれを信じられない、受け入れられない、疑うのです。それでも、時が経てば実現することなのです。

2)その子は喜び、楽しみ 
 洗礼者ヨハネの誕生は、人間世界にとって、喜びであり、楽しみです。何故なら、ヨハネが誕生して、イエス様が来られるからです。預言書の最後の書、マラキ書には、神様の救いの到来の前に、預言者エリヤを遣わすと約束されています。事実ヨハネは、預言者エリヤの霊と力により誕生するのです。父の心を子に、子の心を父に向けさせる、ためです。ヨハネは、神様への信仰において誠実で、純真でした。そんなヨハネは、立派過ぎで、誤ったことがなくて、人間の持つ弱さを知らず、人間のもつやるせなさ、弱さを無視する人ではありませんでした。ヨハネは確かに正しい人でしたが、私たちの持つ弱さを理解する人です。だからこそ多くの人々がヨハネに救いを求めて集まって来たのです。今日読んでいただいたゼファニア書には、イエスラエルの王なる主は、お前たちの中におられる、とおっしゃっています。そして、18節、祭りを祝えず苦しめられていた者を集める、とあり、それまで、神様の教えに背き罪あり、汚れているとして、神様の民から、祭りから排除されていた者たちを神様は集めてくださると約束しています。この恥を雪いでくださるのです。エリサベトも言います。これまで神様は私たちの祈りを無視し、祝福してくださらないとあきらめていましたが、神様はわたしたちを忘れてはいなかった。わたしたちのこの恥を取り去ってくださった、と。自分では拭えない、重荷が、苦しみがあったのですが、今はもうないのです。神様が、わたしのために示して事柄があります。神様が、わたしのために準備してくださっています。神様がわたしのために与えくださることが待っています。わたしたちが信じられなくても。