2018年12月月2日 朝礼拝 『恵みの約束成就』大賀幸一牧師

エレミヤ33:14-16、ルカ21:25-36

1)ダビデのために正義の若枝を 
 預言者エレミヤを通して神様は一つのメッセージを与えられました。恵みの約束を果たす時、神様はダビデのために正義の若枝を生え出させる、とおっしゃっています。実はこの同じメッセージが、エレミヤ書23章に登場しています。この預言の成就はどのように実現されたでしょう。わたしたちは、イエス様の到来、誕生によって実現したと答えることが出来ます。ユダヤの人々はそうではなく、捕囚にあったユダの人々が故郷エルサレムに帰り、第2神殿を建築します。この時こそ、ユダヤの人々にとってエレミヤに与えられた預言の成就だったのです。ただしエレミヤ書23章と33章との間には違いが見られます。23、33章の預言で登場する若枝、その名前は、“主は我らの救い、義”と呼ばれています。ところが33章の名前は、個人に与えられた名前ではないのです。若枝によって救われたユダの人々、あるいは救われたユダの人々の住む場所、町の名前としてあるのです。バビロニアから解放されて故郷へ帰って来たユダの人々は、神殿再建を指導した二人の人、ゼルバベルと大祭司ヨシュアです。ゼルバベルは、ダビデ王の末裔です。エレミヤの言う若枝こそ、このゼルバベルだと考えられていたのです。しかしゼルバベルはある時期失脚します。代わりに大祭司ヨシュアが後を受け継いで行きます。ただ一人の英雄や人間によって、神様が選ばれた町エルサレムが建てられていったのではありません。それよりも、エルサレムは、この後王を持たない町となります。神殿を中心に、神様を中心にして、守られ、養われて行くエルサレム、人々となります。神様が生え出でさせる若枝は、ただ一人の人間を指すのではなく、神様が選ばれる者たちに与えられる名前となるのです。

2)天地は過ぎ去るが、わたしの言葉は決して過ぎ去らない 
 ルカ福音書を読んでいただきました。イエス様は、人の子が大いなる力、栄光を帯びて雲に乗ってやって来る時のことを教えています。人の子とは、神の子キリストのことです。イエス様は自分のことを人の子、人間の子として到来したことを意味しています。先ほどの、若枝なのです。若枝は、幼く若い存在として神様が遣わす方を記録しています。私たちのところに到来したイエス様も、小さな幼子、生まれたての赤ちゃんとして到来しました。この幼子を神様は人間世界に委ねられたのです。そしてその時、人間世界には多くの混乱、破壊があることを示しています。全ての事が起こるまでは、この時代は滅びない、過ぎ去らないとイエス様は言っています。天地も過ぎ去るものなのです。しかしイエス様の教えた御言葉、神様の御言葉は決して滅びることはありません。過ぎ去らないのです。ただ恐れることはありません。私たちがなすべきことは、ただ神様に目を向け、神様の御言葉を聞き、信じることです。